第20回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会


韓国・朝鮮文化研究会会員各位

 下記の通り、第20回研究大会を開催します。今回は初めての仙台での開催となります。会場となる東北学院大学土樋キャンパスは仙台市中心部に位置し、交通の利便性にも恵まれております。会員諸氏の多くの参加を期待いたします。参加・発表を希望される方は、所定の要領に従って、2019年8月2日(金)までに大会委員会宛に電子メールでお申し込みください。

韓国・朝鮮文化研究会第20回研究大会委員会
委員長  松谷 基和




韓国・朝鮮文化研究会第20回研究大会



□ 日時:2019年10月26日(土) 10:00~18:00

□ 場所:東北学院大学土樋キャンパス

     ホーイ記念館3階304号室(会場)・307号室(控室)

     交通アクセス・施設案内

□ プログラム(仮)

  10:00~12:00
 一般研究発表(3名)

  12:30~13:00
 会員総会

  13:10~18:00
 シンポジウム「近現代韓国・朝鮮における街頭集会・示威」(仮)
(趣旨説明・報告:月脚達彦。報告:真鍋祐子、松谷基和)

  18:00~20:00
 懇親会 MEINA(イタリア料理)
仙台市若林区清水小路6−1 東日本不動産仙台ファーストビル 1F
電話022-395-8950




□ 費用

    大会参加費 (有職者・非会員)1,000円/(学生他会員)無料**
     ** 若手研究者の参加を促進するために、有職者以外の会員の参加費を無料としました。
    懇親会費 (有職者)5,000円/(学生他)3,000円

□ 参加・発表申し込み方法

     以下の出欠表様式に従って、研究大会委員会宛にお送りください。

    (出欠表様式)

    韓国・朝鮮文化研究会第20回研究大会出欠表
    研究大会   参加・不参加
    一般研究発表 希望する・希望しない
    懇親会    参加・不参加
    名前:
    連絡先住所:
    電子メール:

     宛先
    E-mail: 20taikai★askcs.jp ←★は@に置き換えて下さい。
    (件名に「大会参加」と明記してください。)

□ 一般研究発表の募集

  一般研究発表を募集します。本研究会会員で発表を希望される方は、出欠表に発表要旨800~1,200文字)を添付のうえ、2019年8月2日(金)までに上記の宛先にお申し込みください。なお1名あたりの時間配分は、発表30分、質疑応答10分の予定です。


□ シンポジウム「近現代韓国・朝鮮における街頭集会・示威」(仮)

 三・一運動は「万歳事件」とも呼ばれたように、ソウル鍾路のパゴダ公園(塔洞:タプコル公園)に集まった人々が、学生の「独立宣言書」朗読ののち、「万歳」を唱えて街頭を示威行進したことに端を発する。大韓帝国の国旗だった太極旗も登場した。同日、「万歳」示威行進は平壌・宣川・義州など、北部の都市でも行われている。それは地方にも拡散し、やがて暴力行使も伴うようにもなっていった。朝鮮全土での運動への参加者は100万人以上とも推測され、大規模な独立運動を予想していなかった朝鮮総督府は、それまでのいわゆる「武断統治」から、斎藤実総督の標榜する「文化政治」へと統治の方針を転換することとなった。日本の支配からの独立は実現しなかったが、1920年代の朝鮮では都市部を中心に近代が浸透し、社会の変容が本格化することになった。

 このように、三・一運動は近代朝鮮のターニング・ポイントの一つとなっているのだが、解放後の韓国においても、街頭での集会・示威が特に政治の面で時代の画期をもたらした例は数多く存在する。1960年の「四月革命」、1987年の「6月民主化抗争」などが代表的なものであり、2016年の「ろうそく集会・示威」が記憶に新しいところである。三・一運動から100年を迎えた2019年の本研究会大会シンポジウムは、街頭で行なわれる集会と示威をテーマにして、歴史学、社会学、文化人類学等の分野からの報告を受け、去る100年余りの韓国・朝鮮社会の変化について議論することとしたい。

 ソウルにおける万歳と太極旗による街頭集会と示威の起源は、1896年に結成された独立協会の運動に遡る。独立協会は日清戦争を機とした清との宗属関係の廃棄を受けて、1895年に撤去された迎恩門の跡に独立門を建設することを目的に結成された。1896年11月21日の「独立門定礎式」では、『独立新聞』の報道によると、太極旗を飾った仮設の門のもとに「五・六千人」の内外国人の来賓が集まり、見物人が「人山人海」を成すなか来賓の演説、学校生徒の愛国唱歌斉唱と「大君主陛下万歳」などが行われたという。その後、独立協会は国家の慶祝日などに際して、独立館で慶祝会を挙行する。

 もっとも独立門と独立館は西大門外に位置し、ソウルの城内ではない。独立協会がロシアの利権要求とそれを招来した政府を批判する「万民共同会」を鍾路で開催したのが、1898年3月10日である。『独立新聞』の報道によれば、米廛の市丁が会長に選出され、演士が白木廛の楼上で演説したという。同12日には独立協会の主催ではない万民共同会が鍾路白木廛で開催され、このときは会を妨害しようとした人物と演士・聴衆との間で投石の事態が繰り広げられたという。

 鍾路で万民共同会が開催されるようになった1898年には、開国紀元節・万寿聖節などの慶祝会が独立門前で行われたのち、独立協会会員が太極旗を掲げて行進し、鍾路を経て仁化門(慶運宮南門)前で「皇上陛下万歳」を唱えるようになった。11月、政府による幹部の逮捕と「協会禁止」の勅令によって独立協会は解散させられるが、万民共同会が褓負商団体との流血戦も伴う示威を続けた結果、高宗は仁化門に臨御して独立協会の再開を許す親諭を下した。しかし独立協会急進派の運動は激化を続け、万民共同会は同年末に解散させられ、次いで独立協会も解散させられた。

 独立協会および万民共同会に関する歴史学の研究では、かねてからその民族主義・民主主義的性格をめぐって議論がなされてきた。しかし、ここでは1898年の鍾路や慶運宮門前で行われた慶祝行事や集会・示威に注目したい。日清戦争後、朝鮮では「独立」の機運が高まった。もはや中国の「属邦」ではなくなった以上、朝鮮の君主は諸外国の君主と同格になり、朝鮮人民も「忠君愛国」の精神を涵養してそれに相応しい地位を得なければならないというのが独立協会の主張である。

 そうして独立門が建設され、慶祝の場には演説、愛国唱歌、国旗、万歳などが登場する。鍾路の空間的位相は、漢城判尹李采淵と総税務司マクレビー・ブラウンによる道路整備、1897年の高宗の皇帝即位などを経て、皇帝が宗廟・清涼里洪陵(明成皇后陵)へと行幸する「御路」に変貌していった。また、高宗がロシア公使館から還御した慶運宮(徳寿宮)の仁化門・大安門(大漢門)前も慶祝の場となるとともに集会・示威が行われる広場となっていく。

 第一次世界大戦の終結と民族自決の気運の高まりという世界史的状況のなかで起こった三・一運動は、もう一方で高宗の因山(3月3日)を翌々日に控えたソウル鍾路に位置するパゴダ公園(1902年に大韓帝国の軍楽隊の演奏場として完工したものと推測される)を発生地とし、万歳を唱える行進は徳寿宮大漢門前や昌徳宮敦化門前へと向かっていった。それが朝鮮全土を覆う示威へと拡大していったのである。

 このように、三・一運動における人々の行動の在り方は、日清戦争後の近代移行期の朝鮮社会に現れた様々なシンボル、身体所作、空間的位相、慶祝や因山などの儀礼などが絡まり合ったものだったと言えよう。解放直後には左右の政治勢力による紀念集会において、三・一運動の記憶が喚起されることにもなる。南北分断後、三・一運動、特に「民族代表33人」が署名した独立宣言書をめぐって、南と北の歴史学会では評価が対立するようになるが、コメモレーションという点も三・一運動は、韓国・朝鮮の現代史に関する重要なテーマとなりうる。

 以上、近代史研究の立場から、独立協会・万民共同会、三・一運動の街頭集会・示威について概観した。広い意味での「政治文化」の視点からの整理で、場所はソウルに限られているが、社会学、文化人類学等の各分野における集会・示威に関する研究状況を踏まえれば、また異なる視点から近現代の韓国・朝鮮の社会と文化について議論することが可能だろうと思われる。テーマ設定について、忌憚のない意見・批判を乞う次第である。
(月脚達彦)

韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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