第7回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会

第7回大会

日 時 : 2006年10月28日(土) 10:00~18:00

場 所 : 東京大学本郷キャンパス 法文1号館113教室

10:00~12:00 一般研究発表
12:30~13:10 会員総会
13:10~18:00 シンポジウム
18:30~20:30 懇親会

(1) 一般発表(10:00~12:00)

1.濱田美緒「在日コリアンの教会活動に関する一考察―神奈川県川崎市K教会の事例から―」

2.水谷清佳「都市におけるマダンの意味に関する考察」

3.鄭大成「トジョン・コードの小宇宙、あるいはテクストとしての『土亭秘訣』―その学際的・序論的研究―」


(2) 会員総会(12:30~13:10)

(3) シンポジウム(13:10~18:00)

全体テーマ「文字と無文字のあいだ」

趣旨説明
板垣竜太

研究報告

1.山内民博「朝鮮後期郷村社会と文字:文書の作成・伝達・保管」

2.三ツ井崇「近代朝鮮における文字の社会的意味:印刷メディアの推移と識字化に関する一考察」

3.嶋陸奥彦「フィールドワークと文書のあいだ」

討論

(4) 懇親会(18:30~20:30)

場所:東京大学生協第一食堂「メトロ」)

費用:大会参加費 1,000円
(懇親会費 (有職者)4,000円  (学生他)3,000円)


参加申し込み

 まだ参加申し込みをされていない会員の方々は、懇親会への参加・不参加も明記したうえで、下記のあて先に至急お申し込みください。非会員の参加も歓迎します。
1)電子メール(下記):今回は研究会事務局のアドレスを転用しますので、件名に必ず「大会参加」と明記してください。
2)郵便:〒113-0033東京都文京区本郷7-3-1東京大学大学院人文社会系研究科韓国朝鮮文化研究室気付 韓国・朝鮮文化研究会第7回研究大会運営委員会宛


シンポジウム概要

 朝鮮半島は、いうまでもなく「文字社会」としての長い歴史を有している。ただこの「文字社会」という概念自体、具体的にはどのような社会のことをいうのかは、実際のところかなり難しい問題である。いかなる「文字社会」においても、その社会の構成員全体が、文字を自由に駆使しているわけではない。いかなる意味において「文字社会」なのか、人びとは文字をどのように読んだり書いたりしているのか、文字を媒介にどのような社会関係が成立しているのか、文字を媒介にしない関係はどのように形成されていて、それが社会全体でどのような位置づけにあるのか、「識字」/「文盲」という二分法が社会のなかでどのように機能してきたのか、そういった具体的な問いを抜きにして、「文字社会」については語れない。本企画は、こうした問題に正面から取り組む。と同時に、フィールドワークを主要な方法としてきた人類学、文献史料による研究を重視してきた歴史学のあいだの対話も試みる。(文責=板垣竜太)

1.山内民博「朝鮮後期郷村社会と文字:文書の作成・伝達・保管」

 本報告では、朝鮮時代後期の郷村社会(邑=郡県レベルを想定している)において、どのように文書が作成され、往来し、また保管されてきたのか、具体的な事例を若干検討してみたい。この時期の郷村社会の文字資料には多様なものがあるが、発給者と受給者が特定される文書資料は郷村社会の社会関係、また文字と人々との関係を考える上で重要な材料となろう。
 郷村社会における文書の発給と受給の主な担い手としては、まず官衙・守令が想定されよう。朝鮮の国家運営が文書行政を基本としていたことから、地方官衙では大量の文書・記録が作成されており、また多くの文書が官衙に対して提出された。士族家門に伝来する文書群の中でも中央・地方の官衙とかかわるものが少なからぬ比重を占めるし、官衙に文書を提出し、あるいは官衙から文書を受給するのは士族に限らなかった。民の側も文書行政=文字・文書による支配に対応する必要があったと思われる。一方で士族層を中心に、官衙とは直接にかかわらない文書の往来も当然ながら存在した。こうした文書の担い手の問題、そして公権力との関係は、文字と郷村社会を考える上での重要な論点であろう。
 また、文書の保管の問題、すなわちいったん作成・伝達された文書がその後どのように扱われるのかという点も、文字との関係を問う上で興味深い論点であろう。どういう文書が、なぜ残されるのか。偽文書を含め、あらためて問い直すべき問題であろう。
 本報告では以上のような点を念頭に、所志類と通文類を若干とりあげ、その作成・伝達・保管をめぐって具体的に検討してみたい。所志とは官に対する請願・提訴の文書であり、通文とは一般に士族間や郷校・書院間などで共通の問題について通告・通知する文書である。「文字と無文字のあいだ」というテーマからするとごくわずかの領域をあつかうにとどまるが、シンポジウムでの議論のひとつの契機になればと思う。

2. 三ツ井崇「近代朝鮮社会における文字の価値付けとその文脈:印刷メディアの推移と識字化に関する一考察」

 近代社会が「国民」形成のために言語改革を要求したことは、これまでしばしば語られてきた。いわゆる「国(民)語(national language)」の形成/創出過程で、とりわけ東アジアの「漢字文化圏」においては、「文字ナショナリズム」と呼ばれる現象が見られたこともまたこれまで指摘されてきたとおりである。よって、「文字ナショナリズム」をともなった言語的近代においては、本来、言語とは別物であるはずの文字が「国語」の表象として認識されたりもし、したがって言語による「国民」形成の過程では、人々に文字を知り、運用する能力が要求されることになった。
 このような「文字ナショナリズム」の存在は近代朝鮮においても例外ではなかった。ただし、近代、とりわけ植民地期およびその前後の社会においては、少なくとも、漢字・漢文、ハングル、和文が混在しており、ときにはそれぞれが独立し、ときにはそれぞれが混合して書きことばを成していたのであった。しかし、言語的近代化の波の中で、それぞれの文字に対する価値観に序列ないしは対立が生じ、そのような序列意識、対立意識が、政策や民族運動などに反映されることにもなったのである。
 このような社会状況において、文字を知るという行為、あるいは文字を知らないという状況は、複数の主体によって表明された「国民」化あるいは「民族解放/独立」の政治的言説において、どのようなものとして価値付けられたのだろうか。
 ベネディクト・アンダーソン流に言えば、ナショナリズムの発明は出版語によるものとされる。よって「国民」化の過程ではその出版語による印刷メディアの拡大とそれを受容する読者層の拡大が重要な役割を果たすことになる。また、W-J・オングによれば、その印刷メディアこそ、速読・黙読を可能にする消費者指向(consumer-oriented)的メディアであることになる。しかし、とりわけ植民地期のように、複数のナショナリズムが対峙している状況を考えるなら、それぞれの「国民性」/「民族性」を表象する文字によって作られた印刷メディアを通して、どのような主体がどのような消費者を作ろうとしたのかを問うてみる必要があるだろう。報告者は、その問いによって、文字そのものに対する価値だけでなく、識字/非識字状況に対する価値のあり方について解明できるのではないかと考えるのである。
 本報告では、以上のような問題意識にもとづいて、おもに関連研究の成果を踏まえながら、近代朝鮮における印刷メディアの拡大過程と識字化への価値の付与という問題に注目し、さらにそこに介在する文字に対する価値観の付与について検討することで、大会テーマである「文字と無文字のあいだ」を考えるための材料を提供できればと考えている。

3.嶋陸奥彦「フィールドワークと文書のあいだ」

 主として無文字社会の研究から出発した人類学にとって、フィールドワークはもっとも基本的な研究方法である。しかし文明社会を対象とする際には無文字社会の研究とは異なる見方が必要だと指摘したRedfieldは、大伝統(普遍性をもち、文字とエリート層を媒介として広域に伝播する)と小伝統(文字を持たぬ一般農民の狭い地域に限定された文化)という概念的枠組みを提起した。大伝統の内容は何段階もの媒介者の手によって翻訳されながら農民の小伝統に影響を及ぼし、その過程を経て農民の日常生活も文明社会のなかに取り込まれてゆく。フィールドワークだけで対象の全体を捉えることはできないということである。
 秋葉隆が提起した朝鮮社会の二重組織論は、Redfieldが注目したのと同種の現象を捉えようとした試みと理解することができるが、歴史過程よりも類型の側面が強調されたのは研究史的制約によるものである。しかし秋葉を初めとする朝鮮研究者たちが当初から注目した家族・親族の問題は、東アジアの一角において大小両伝統がどのように相互作用しながら新しい社会形態を生んできたのかを考える格好のテーマである。その具体的展開が見られるようになったのは、人類学(の一部)と歴史学(の一部)が相互接近するようになってから(主として1980年代以降)である。
 1970年代半ばに現在学的関心で農村調査を開始した当初、私自身の村社会に対する接近方法は無文字社会へのそれと基本的に変わるところはなかった。しかし80年代に入って手がけるようになった族譜や戸籍分析を通して、歴史的展開(「伝統」の形成過程)に目を向けるようになった。これらの文書があり、記録された人々の姿が見える以上、彼らが文字社会に生きていたことは疑いようがない。他方、同時代の同じ組織の中に識字者と非識字者が共存していたことも間違いない。だが族譜や戸籍に記録された人々自身が文書とどのように関わっていたのかを具体的に明らかにすることは容易ではない。今回の報告では、以下のような問題をめぐって、フィールドワーク体験と付き合わせながら歴史的文書(の行間)を読むという危うい作業をしてみたい。
 1.名前から推定される文字使用と親族の組織化
 2.??(無文字的組織)と宗家(文字的組織)の相互関係
 3.族譜(私的文書)と戸籍(公文書)の性格

韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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