第20回研究例会 of 韓国・朝鮮文化研究会

 第20回研究例会

日時:2006年4月22日(土曜日) 午後3時~7時

【発表1】

▽発表者:李 仁子(東北大学大学院)
○発表題目:日本在住「脱北者」の生業とネットワーク

 「脱北者」――この用語はさまざまなメディアにおいて日常的に使用され、日本ではすでに市民権を得たものになっている。モザイクがかけられた彼らの映像も、しばしば北朝鮮の話題とセットになってかなり頻繁に流されている。公式発表はないが、およそ100人ほどの脱北者が日本に滞在しているといわれている。しかし、その絶対数がさほど多くないことと、ほとんどの脱北者がその出自を明かさずにひっそりと生活しているため、その認知度の高さのわりには、メディアが好んで取り上げるテーマを除けば、彼らの生活の実際はほとんど知られていない。
 本発表は、元在日コリアンであった人およびその子孫たちで、北朝鮮に一度帰国し、再び日本に戻った(脱北した)人たちについての報告である。発表者がこれまでに情報提供者として出会った日本滞在の脱北者は65人ほどであるが、今回はその中から、2003年以来フィールドワークを続けている大阪滞在の脱北者6家族18人を取り上げ、彼らの生活の実際、とりわけその生業とネットワークに関して考察してみることにする。
 一言に「脱北者」といっても一枚岩のようには語れないさまざまな背景の違いがある。日本から北朝鮮に渡ったときの状況の違いや北朝鮮での40余年間の生活の差、脱北のルートによって生じる国籍や滞在資格の違い、さらに日本に入ってからは、支援してくれるNGOやNPOとの関わりによって異なる生活の安定度など、実にさまざまな要素によって彼らの暮らしは多様性を帯びることになる。
 異なる状況や条件の中、移住地である日本で彼らはどのように「安住」への模索を図っているのだろうか。日々の暮らしや仕事の現場で垣間見せる彼らのさまざまな顔から、また職場や子供の学校での付き合いや支援団体とのつながり、女性たちのネットワークなどのあり方といった面から、この問いに迫ってみたい。日本への定着を始めた頃の在日コリアン一世たちとの比較も念頭に置きながら発表できればと思う。

【発表2】

▽発表者:鈴木文子(佛教大学)
○発表表題:趣味家がみた世界-板祐生コレクションにみる帝国日本と植民地-

板祐生(一八八八~一九五六)は、鳥取県西伯郡西伯町(現南部町)東長田村出身で、その生涯の大半を山村分校で教員として過ごした人物である。彼は、教員という肩書きとともに、武井武雄主催、棟方志功等も参加していた「榛の会」(版画による年賀状の交換会)会員で.孔版画の創始者であり、また、明治の末期より徐々にさかんとなる「趣味家」とよばれるコレクターとしてその世界では知られた人物であった。一九九五年に設立された「祐生出会いの館」(南部町)に残された彼の約四万点の蒐集品のなかには、大正・昭和のモダンなデザインが施された箸袋や弁当の包装紙などとともに、帝国コレクションともいえる各植民地の風俗絵葉書、「満州国」関連のプロパガンダ用ポスター等が多々含まれている。その中には、今日すでに人々の記憶から忘れ去られている朝鮮・満州玩具などもある。
 これらのコレクションは、朝鮮半島や大陸にも広がっていた趣味家仲間(「我楽多宗」)ばかりでなく、移住、あるいは教師、軍人として派遣された地元出身者からのものも多い。また、絵葉書、玩具はすでに通信販売によって、売買されており、初期の入手品のひとつである「韓太子山陰巡礼絵葉書」も業者を通じて購入している。
 本発表では、板祐生コレクションを一九〇九(明治四二)年から残されている日記や蒐集資料提供者たちと交換された書簡などから分析し、山間部の一教員にどのようにして、帝国日本の進出や植民地の情報がもたらされていたのかを、彼をとりまく情報網、とくに提供者や当時の葉書文化に焦点をあてて考察する。

会場:東京大学(本郷キャンパス)赤門総合研究棟・738番教室

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