第55回研究例会
日時:2016年2月13日(土曜日)15時~17時
会場:東京大学(本郷キャンパス)赤門総合研究棟7階738号室
最寄り駅:本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線、大江戸線)
■アクセス:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html
■建物位置:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_02_j.html
赤門を入り右手の建物です。
▽発表者:李亨眞氏(東京大学特任准教授)
◎題目:「『告白』という装置と韓日近代文学の起源―金東仁と廉想渉の『告白』敍事を中心に」
使用言語:韓国語
「近代文学」をごく単純に「近代的人間」を形象化した文学とするとき、その起源を「告白敍事」の誕生に求めるのはある意味当然のことかもしれない。「近代的人間」とは、自らと世界とを分離させることで「自己」という「内面」を誕生させた、あるいはその中に閉じ込められることになってしまった人間だといえよう。したがってこのあいまいな「内面」というものが存在するかどうかだけが、自らが近代的人間か否かをあらわすことができる最も確かなしるしとなる。しかし、「内面」というものは「内」に隠されているので、あえて表に出さなければ、見ることも確かめることもできない。すなわちそれは「告白」によって吐露した場合にのみ一時的にその姿をあらわし、そのような出現の中でのみその存在を証明することができる何かしらのものである。近代小説の主人公たちが、自身の些細な、あるいは重大なありとあらゆる罪を我先に告白するのはそのためである。
韓国と日本の「近代」文学が告白体からはじまることは、柄谷行人と金允植の研究以来、両国ではすでに定説となっている。韓国近代文学のはじまりの風景が日本のそれと大きく変わらないのは、「近代」というものの世界史的な普遍性に起因する。しかし、何が、なぜ告白されるかにおいては多くの違いがある。したがって、近代的人間の内面を表出できるようにする技法の装置としての「告白体」を、日本の知識人たちが西洋文学に学んだ、あるいはこれを韓国の知識人たちが日本の文学から学んだということはさほど重要ではない。むしろ、日本文学の影響の中で韓国文学がつくり出した独自の世界の性格を明らかにすることがより重要である。本発表では、「制度的装置としての告白体」と韓国近代 文学の起源を語る際に欠かせない、日本への留学経験を持つ金東仁と廉想渉の「告白」敍事を、日本の私小説との比較において検討することで、韓日両国の近代文学の性格の一端に光を当ててみたい。
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