第72・73回合同研究例会 of 韓国・朝鮮文化研究会

 第72・73回合同研究例会

 運営委員会での検討の結果、COVID-19の感染拡大に鑑み、第72・73回合同研究例会をWeb会議サービスのZoom上で下記の通り実施致しました。


日時:2020年6月6日(土曜日)15時~18時

開催方法:Zoomミーティング

発表者①:新里瑠璃子氏(立命館大学コリア研究センター 客員協力研究員)

題目:京城帝国大学予科のドイツ語(外国語)教育

【発表要旨】

 今日、韓国において韓独関係及びドイツ語教育が語られる際には、解放後の歴史に光が当てられ、植民地期の朝鮮におけるドイツやドイツ語については学術的にもほとんど顧みられることはない。一般的に、ドイツ語教育が本格的に始動したのは解放後からであるとされているが、確かに、朝鮮に設立された高等教育機関の中で最高位に位置づけられた京城帝国大学にも、その他の高等教育機関である専門学校にも独文学を専攻として学べる場は存在しなかった。その意味で、独語独文学教育・研究の開始を解放後からとするのは間違いではない。だがその一方で、韓国のドイツ語教育史において、京城帝国大学予科においてドイツ語(外国語)教育が盛んに行われていたと強調されていることについてはどのように理解するべきなのだろうか。

 植民地期朝鮮の高等教育、とりわけ京城帝国大学の学知がドイツないし西洋の学問と外国語を素地として展開されたことはよく知られている。そしてそれは、近代日本の知識体系が、西洋の学術を受容することで形成されてきた歴史に照らして、当然のこととして受け止められてきた。だからこそ、京城帝大予科でのドイツ語教育が如何なるものであったのかについて踏み込んだ分析はなされてこなかったのである。先行研究では追究されてこなかった授業カリキュラムの変遷や教材、教員など、教育実態に関する詳細な検証を行い、この点を補完する必要があるが、本発表では、京城帝大予科の語学カリキュラムの分析に焦点を絞り、京城帝大予科におけるドイツ語(外国語)教育の制度面の変遷を明らかにする。


発表者②:宮内彩希氏(北海道大学 専門研究員)

題目: 1930,40年代植民地朝鮮の巫俗信仰と日常 -実践者の立場から史料を読み直す-

【発表要旨】

 韓国朝鮮の民間信仰の一つである巫俗信仰は、19世紀末以降の「近代化」に伴い、「非科学的」「迷信」であるとして批判されてきた。発表者は、博士論文において、大韓帝国期から植民地期にかけての知識人・学者・地方有志を中心とした巫俗信仰をめぐる言説、及び朝鮮総督府の宗教政策の枠組における巫俗信仰に焦点を当て、巫俗信仰がいかに認識・記述され、政策として反映されていったかについて明らかにした。ただし、あくまでも上からの政策や運動といった側面が強く、巫俗信仰を実践している人々の主体性に関しては課題が残った。実際、植民地研究の動向について言及した金富子も、「圧倒的多数を占める農村、民衆女性の生や経験が看過されがちな点が惜しまれる」*と指摘している。

 そこで、本発表では、これまで主体として着目されてこなかった巫俗信仰の実践者に焦点を当て、植民地期の巫俗信仰のあり方について明らかにすることを目的とする。特に、1932年以降に始まる農山漁村振興運動、1935年以降の心田開発運動、さらには戦時下に至るまでの政策や社会状況を踏まえて、実践者たちがいかに反応・対応していったのかを見ていきたい。分析に用いる主な史料は、当時の新聞雑誌などである。これらの史料は言うまでもなく知識階級によって書かれたもので、実践者たちが残した記録ではない上に、否定的な見解で溢れている。民衆の歴史を明らかにする上で最も難点となるのが史料の問題であるが、こうした限界点を自覚しつつ、極力実践者の立場から史料を読み直すことを試みる。「科学的かどうか」という価値判断にとらわれず、巫俗信仰を実践し続けた人々の日常を多少なりとも垣間見られればと思う。本研究は、植民地期に自ら記録を残すことのなかった民衆の歴史解明の一助となるであろう。

*金富子「「韓国併合」100年と韓国の女性史・ジェンダー史研究の新潮流」『ジェンダー史学』6巻、ジェンダー史学会、2010年。


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