第22回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会

韓国・朝鮮文化研究会第22回研究大会


 今回の研究大会はZoomを用いたオンライン方式で開催します。よって参加費は、昨年同様無料とします。

 今回のシンポジウム「<性>をめぐる分断線を問いなおす」は、昨年10月に発足した若手・中堅を主体とする企画WGによる初めての成果となります。委員の方々のご尽力にこの場を借りて感謝するとともに、この現在的であり、かつ根深くもある課題について、活発な討論が交わされることを願います。

 長引くコロナ禍のなか、研究大会のオンライン開催も今回で二度目となりますが、会員・参加者諸氏の交流の場として、今回は昼休みにオンライン談話室を、夕刻にオンライン懇親会の場を設けることといたしました。詳細は次回ご案内の際にお知らせいたしますが、どなたでもお気軽に出入りできるような形での運営を考えております。こちらにも是非ともお立ち寄りください。


韓国・朝鮮文化研究会
第22回研究大会委員会
会長 本田洋
□ 日時:2021年10月23日(土) 10:00~17:00

□ 開催方式:Zoomによるオンライン方式


□ プログラム

  9:50
 入室開始

  10:00~11:20
 一般研究発表(発表30分,質疑応答10分)
司会:仲川裕里・川瀬貴也

辻大和「近世以降韓国における嗜好品としての薬用人蔘について」

浮葉正親「文化財指定と村祭りの変容─三角山都堂祭における「国行祭儀」の挿入をめぐって」


  11:20~12:30
 昼休み(オンライン談話室)

  12:30~17:00
 シンポジウム「<性>をめぐる分断線を問いなおす」

司会:板垣竜太・金良淑

板垣竜太「趣旨説明」

トッド・ヘンリー(Todd A. Henry)「暗がりのなかでつかまえて:権威主義政権期韓国のクィア史に向けて」

佐々木正徳「男性性・軍事主義・ミソジニー ~ 韓国社会と男性性」

古橋綾「韓国フェミニズム運動に見る性搾取問題の歴史と現在」

総合討論

  17:15~17:45
 会員総会(研究大会と同じURLを用います)

  18:00~20:00
 オンライン懇親会(参加方法は参加を申し込まれた方々に対してのみ,別途お知らせします)

*プログラムの都合上,シンポジウム開始時刻を例年より30分繰り上げ,また会員総会はシンポジウム終了後に開催することにいたしましたのでご注意ください。



□ 費用:オンライン開催のため,大会参加費・懇親会費ともに無料とします。


□ 問い合わせ先:22taikai★askcs.jp(←★を半角のアットマークに変えて下さい)


□ 発表・報告要旨

(1) 一般研究発表

辻大和「近世以降韓国における嗜好品としての薬用人蔘について」

 本発表は近世以降韓国における薬用人蔘の嗜好品としての流通と消費について考察する。薬用人蔘(オタネニンジン)はウコギ科の薬草で、朝鮮人蔘、高麗人蔘とも呼ばれる。中国や韓国では「人蔘」(中国語ではRensheng、韓国語ではInsam)のみで薬用人蔘を指す。オタネニンジンと離れたものとして、野菜のニンジンがあるが、これはウコギ科ではなくセリ科である。

 薬用人蔘(以下、人蔘とする)は、原産地が朝鮮半島から中国東北部一帯であり、古代より東アジアにおいて万病、不老長寿の薬とされ、珍重された。たとえば朝鮮半島では中国歴代皇帝への朝貢品(進貢品)であったほか、16世紀からは、朝貢以外の経路で朝鮮半島から中国や日本へ輸出された。18世紀までは天然の生人蔘(水蔘)、干人蔘(白蔘)が流通するのみであったが18世紀以降、日本、朝鮮で人蔘栽培に成功し、中国へ輸出されるようになった。

 さて現代韓国を中心に、薬用人蔘は特定の病気の治療薬としての利用だけでなく、身体の調子を整える「補薬」や嗜好品としての利用が多く、贈答品としての位置づけも高い。

 薬用人蔘については日本が韓国を植民地とした時代から生産に関する歴史研究の蓄積が見られ、現代韓国でも薬効はもちろん生産に関する歴史研究は多くの蓄積がある。だが、人蔘の国際的流通が16世紀に本格化し、18世紀に栽培が実用化したのち、どうやって近現代に人蔘が健康食品や嗜好品として広く受容され、消費されるようになったかということに関する歴史研究は多くない。

 そこで本発表では、16世紀以降韓国の歴史文献に見える人蔘に関する記事によって、人蔘製品の流通、消費に関わる展開を考察したい。消費については朝鮮時代の『朝鮮王朝実録』や士大夫の私的記録などで薬用として用いられた例を確認したうえで、薬用でない「人蔘茶」などの形態で、飲まれ始めた例も同様に調べ、その内実に迫る。また、近現代以降の韓国でどのように嗜好品としての人蔘加工品が登場し、普及していったのかについても論じる。



浮葉正親「文化財指定と村祭りの変容─三角山都堂祭における「国行祭儀」の挿入をめぐって」

 この発表では、ソウル市江北区牛耳洞で旧暦3月3日に行われる三角山都堂祭が市の無形文化財指定を受け、祭次に大きな変更が加えられた事実を報告し、その変化をどう捉えればいいのかを考察する。

 報告者は2009年および2012年、さらに2017年に三角山都堂祭を観察し、参加者へのインタビューも行った。その間、2010年11月、この祭りはソウル市無形文化財第42号に指定された。翌年から、それまで祭りの前夜に行われていた儒式の「山神祭」が行われなくなり、当日の午前に宗廟(朝鮮王朝の歴代王の位牌を祀る廟)の祭儀を模した「都堂祭」が行われるようになった。その結果、以前は1日中行われていた巫俗儀礼「都堂クッ」が午後だけに短縮された。説明によれば、「この祭りは王朝の守護神である三角山(北漢山)の山神を祀る国行祭儀に由来するものであったが、日韓併合によってそれが行われなくなった。その祭儀は牛耳洞で行われていたわけではないが、現在、三角山の山神を祀るのはここだけである。文化財指定により、途絶えていた「国行祭儀」をここで行うことにした」という。

 この変化には、巫俗を重視する民俗学者の多くが当惑していた。三角山都堂祭は、朝鮮総督府の『部落祭』(1937)に「京城府外牛耳里の山祭」として報告されている。それによれば、「祭費の多く集まった年には巫女を招いて神楽(굿)を行はしめることがある。これを「都堂굿(クッ)」と云ふ」(22頁)とあり、巫俗儀礼は付加的な要素であったこともうかがわれる。

 牛耳洞では、1990年に三角山都堂祭伝承保存会を結成し、祭りの記録や後継者の育成に努めてきた。2006年に保存会が編集した『牛耳洞三角山都堂祭』でも、この祭りと朝鮮王朝の国行祭儀との関係が数十頁にわたって論じられている(著者:金善豊)。文化財指定をめぐっては、民俗学者の助言を得て巫俗儀礼の伝統を強調する動きもあったようであるが、「国行祭儀」を挿入する案が受け入れられた。保存会の構成員である住民代表がその儀礼の担い手になることで、結果的に祭りへの主体的な参加意識が高まったといえよう。牛耳洞では「ソグィッコル(牛耳洞の固有語)・モイム」という親睦会も定期的に開催されており、後継者の育成が順調に行われているように感じられる。

 一方、麻浦区の栗島(パムソム)府君堂クッも市の無形文化財指定を受けているが、こちらは巫俗儀礼や音楽の担い手を「保有者」として指定しており、様相が大きく異なる。漢江の中島であった栗島(1968年爆破、強制移住)の旧住民たちは高齢化が進み、参加者が徐々に少なくなっている。祭りは見物客も多く、一見、華やかに行われているように見えるが、形骸化が進んでいるように感じられる。

 文化財指定の破壊的な側面については様々な指摘があるが、牛耳洞の場合、住民たちの主体的な参加が促進された例として評価できるのではないかと考える。ソウルの村祭りについては、祭りの担い手である地域住民に焦点を当てた研究が少ないという印象がある。この点、韓国の研究者たちとさらに議論を深めたい。



(2) シンポジウム「<性>をめぐる分断線を問いなおす」

板垣竜太「趣旨説明」

 「分断」がもたらす諸問題といえば、朝鮮半島ではまず何といっても南北分断に起因するものを思い浮かべるだろう。しかし、いま韓国では<性>をめぐる分断線とでもいうべきもの、すなわち男性優位社会(それも異性愛主義を自明の前提としたもの)がもたらす差別、偏見、格差、嫌悪、暴力、搾取を乗り越えようという動きが熱く展開している。

 近年、韓国社会を大きく揺るがしたのは「フェミニズム・リブート」とも言われる動きである。これが目に見えるかたちで展開したのは、韓国社会におけるミソジニー(女性嫌悪)に対する批判の運動である。2010年代にはいり、女性一般を攻撃する「〜ニョ(女)」との表現がオンライン・コミュニティ・サイトでつくりだされ、その攻撃の社会的な広がりが加速しはじめた。それに対して、2015年には「メガリア」というオンライン・コミュニティが立ち上がり、そこから派生したコミュニティ(「ウォマド」など)も登場し、さまざまなかたちでミソジニーに対抗した。こうしたオンライン運動による問題意識の広まりをひとつの土台として、2016年に江南駅付近の店舗の男女共用トイレで起きた男性による女性を狙った殺人事件に対しては、女性であるという理由で殺されてしまうかもしれない社会のあり方への危機感を多くの女性が抱き、「ヤング・ヤング」とも形容される新たなフェミニズムの運動が多様なかたちで広まることになった。

 こうして目覚めた感性は、さまざまな方面で影響を及ぼした。世界的な潮流とも連動した#MeToo運動は、数多くの男性権威者を失墜させた。性暴力、性売買の問題についてそれまで以上に関心が高まった。フェミニズム文学も活性化し、それに呼応するように映画やK-Popでも新たな動きが連鎖的に芽生えていった。

 分割線への問いなおしは、決して女性/男性のあいだだけのことではない。異性愛主義を自明の前提とした女性と男性という単純な二分法のあり方そのものを問い直すセクシャル・マイノリティの運動も、この間に目に見えて広まった。特に今世紀に入ってから、芸能人のカミングアウトや各地でのクィア文化祭の開催、運動団体の発足といったかたちで展開した。これはフェミニズム・リブートの流れとときに交わり、ときにすれ違いながらも、社会的に大きな影響力を及ぼしてきた。

 こうした動きは男性およびセクシャル・マジョリティのあり方をも問い直すことにつながった。韓国社会で歴史的にマスキュリニティ(男性性)を再生産してきた巨大な装置に軍隊がある。南北分断を背景として肥大した軍隊(韓国軍、米軍)は、徴兵制の存在もあいまって、韓国社会に軍事主義と結びついたマスキュリニティを埋め込んでいくことになった。そのため、軍隊をめぐるさまざまな<性>の問題も問いなおされてきた。米軍のいわゆる「基地村」の問題、軍隊内での女性に対するハラスメントや性暴力の問題あるいはセクシャル・マイノリティの差別と排除、廃止された軍加算点制度(兵役を終えた者に加点する制度)の復活の動きなどをめぐっても、さまざまな運動や議論が展開されてきた。

 こうした韓国の動きは日本とも無関係ではない。「日韓関係の悪化」が取り沙汰されるなかで、2019年には『82年生まれ、キム・ジヨン』がベストセラーとなった。また日本軍「慰安婦」問題においても、金学順さんが#MeToo運動の先駆者としてあらためて想起されたりもした。

 以上のような広がりをもった諸問題は、決して「一つ」のものではない。本シンポジウムでは、日々熱く議論されている複数の脈絡を、いったん<性>(ジェンダーおよびセクシュアリティ)をめぐる分断線を問いなおす動きとして広く括って、研究の場で出会わせ、議論を深めていきたい。



トッド・ヘンリー(Todd A. Henry)「暗がりのなかでつかまえて:権威主義政権期韓国のクィア史に向けて(Grasping in the Dark: Toward Queer Histories of Authoritarian South Korea)」

 近年、韓国の権威主義的発展(1948-93年)について、日常史的な観点から捉えようという研究が数多く出されている。しかし、そうした研究は多くの場合、冷戦下の資本主義のもつ異性愛中心-家父長制(ヘテロパトリアーキー)的な基盤に対して、疑問を呈するというよりは、むしろそれを強化するものとなっている。それに対して本報告は、まずそうした家父長制および異性愛中心主義(ヘテロセクシャリティ)としてのイデオロギーが効果的に機能するためには、それらがいかに自然なものに見えたとしても、くりかえし社会秩序のなかで増強される必要があるものと捉える。その一方で、とりわけ周縁に生きる人々にとっては、全国民に対するそうした押しつけが、多かれ少なかれ社会的費用としてのしかかることになったと考える。他の男性に心引かれる男性や、ジェンダー秩序に従わない人々の経験を実証研究の基礎に据えながら、本報告は、異性愛結婚や子育て、ジェンダー規範的(シスジェンダー的)な表現に対する一般的な想定からすれば「奇妙な(クィア)」諸反応を理解しようと試みる。

 この報告のタイトルでもある「暗がりのなかでつかまえて」(grasping in the dark)とは、かれらの暮らしぶりと、それを語ろうとする私の試みという二つの次元を浮かびあがらせるものである。一つ目は、同時上映館〔二番館〕ないしB級映画館の薄暗くみすぼらしい環境を描写している。これらの映画館は、朴正熙政権期(1961-79)および全斗煥政権期(1980-88)の社交の場として重要であったにもかかわらず、ほとんど研究されてこなかった。韓国の権威主義政権期の全時期を通じて、B級映画館は、非規範的な男性たちのセクシャルな出会いに匿名性を提供するとともに、コミュニケーション、親密性、共同性の生き生きとした場となっていた。また私は、映画館の立地が、「ひっぱり」や、同性愛者たちのたまり場、トランスジェンダーの公演など、関連するサブカルチャーの移り変わりの歴史にどのように影響を及ぼしたのかを明らかにする。「暗がりのなかでつかまえて」の二つ目の意味は、私がかれらの歴史を書くのに暗中模索しつづけているということを示している。このテーマについて、1990年代以前には、かれらが自ら綴った資料もなければ先行研究もなく、ただ新聞記者や医師、警察官などの外部の人間がクィアの人々について書いたものしかない。そうしたなかで韓国の権威主義の周縁化された過去を論ずるために、本報告はインタビューにほぼ依存せざるをえない。その関係で、本報告はインフォーマントたちの複雑な過去を語り直し、そのことによって権威主義的発展の「暗い」側面に新たに照明をあてようとする際の倫理的および認識論的な問題についても考察する。(板垣竜太訳)



佐々木正徳「男性性・軍事主義・ミソジニー ~ 韓国社会と男性性」

 韓国における男性性研究は、何らかの形で「軍事主義」とそれをもたらす「義務兵役」と関連付けて議論されてきた。しかしそれは、単純に「軍事主義の中で義務兵役を終えた男性がヘゲモニーを掴んでいる」ということではない。また、社会が変化し、世代間の意識の相違も顕著になる中で、「男性性」の多様さにも意識が向けられるようになっている。家事役割を果たす男性が評価されたり、物腰の柔らかい優しい男性アイドルが人気を博したりするのは、象徴的な例である。本発表では、男性性と軍事主義が密接に結びつくことになった朴正熙政権から、民主化運動、IMF期、2000年代以降と、時を経て「男性性」と「軍事主義」の結託がいかに変化してきたか、そして、どのような「男性性」が新たに見出されてきたかを明らかにする。それにより、「分断」を乗り越えようとする(ジェンダー差別を解消しようとする)活動が、むしろ、「分断」を激化させているようにみえる理由について、考察を試みる。

 軍事主義の日常化(軍事化)が進められたのは軍事政権期である。北の脅威への対抗からいち早く国力を高める必要があった政権は、祖国のために過酷な労働に自発的に従事する人材を欲していた。換言すれば、軍隊と親和性の高い「自己犠牲の精神」を持つ人材が求められていた。また、ただの自己犠牲ではなく、賃金という形でそれなりの利得があり、自己犠牲の代わりに家長としての地位を得られていたことも、当時の人々をして過酷な労働に従事せしめた。

 自己犠牲が重要な価値観であったのは、軍事政権に反対する民主化運動においても同様であった。「民主化の達成」を錦の御旗に、個人の権利や自由、多様な価値観は二の次とされた。近年、民主化世代が既得権者として批判されるのは、自己犠牲による成功体験をもつ層と持たない層との対立とみることも可能であろう。

 IMF期において「自己犠牲」は大きくその意味を変える。この時期の自己犠牲とは大規模な構造改革を受け入れるということであり、それは多くの場合、職を失うことを意味していた。つまり、稼得や民主化の達成といった利得を伴わなくなったのである。以降、自己犠牲は文字通り「犠牲」であり、自己犠牲の象徴である義務兵役は不平等なものであるという「被害者としての男性」言説が増えていくことになる。兵役不正に対する批判が強まっていくのもこの頃からである。

 2000年代以降は、IMF期の構造改革やリーマンショックの影響で格差が拡大、固定化していく。世代、地域、性など個人の様々な属性が格差をもたらす要因となっている。ミソジニーは、自分(たち)より強い立場にいるように見える女性が、男性優位社会を糾弾することに対する反発であり、いくつかの凶悪事件は自分(たち)より弱い立場にいるように見える女性を標的にしたものと考えられる。「分断」を乗り越えることは容易ではないが、兵役と男性性との関係を総括することは、分断の諸相を通時的に可視化するという点で、意義のある試みである。



古橋綾「韓国フェミニズム運動に見る性搾取問題の歴史と現在」

 2020年春、N番部屋事件と呼ばれるSNSを使った性犯罪事件が韓国で大きな話題となった。この事件は、メッセンジャーアプリ「テレグラム」のグループトークで女性の性的な画像や映像を共有していたというもので、暴力や虐待といえるほどの過激な映像の流布や、加害者たちの悪質な手法、映像をシェアしていたメンバーが最大で26万人に上ると推算されたことなどが関心を集めた。事件を問題視する世論は急速に高まり、事件の調査や加害者処罰を求める国民請願署名が乱立し、加害者の氏名と写真を公開することを求める国民請願署名には270万人以上もの署名が集まった。

 一連の事件を、韓国社会はなぜこんなにも大きく社会問題化できたのだろうか。この事件で使われた被害者が訴え出られないような巧妙な手口は、日本で2016年頃に話題となったアダルトビデオ出演強要問題を連想させるが、日本においてはこの問題が社会に与えた影響は極めて少ない。

 近年の韓国では2016年の江南駅殺人事件、2018年から本格化するMetoo運動の影響から女性に対する暴力についての関心が高まっているということが、先の質問に対するひとつの理由となりうるだろう。しかし、最近の状況だけを見ていては事件が起こった際の世論の盛り上がりや支援を行うための対応の迅速さを理解することができないと考える。実は、女性に対する暴力をなくすための取り組みは、民主化以前から現在まで脈々と続いてきている。この基盤なくしては、現在の盛り上がりもあり得ないだろう。

 このような認識のもとに、本報告では韓国のフェミニズム運動がN番部屋事件に象徴されるような性搾取問題(性暴力や性売買の問題)といかに向き合ってきたのかを整理することで、近年の韓国のフェミニズムの盛り上がりの基盤を検討してみる。具体的には、まず、韓国における性搾取(性売買)の歴史を概説し、次に、それに対抗する女性たちの闘争史――キーセン観光反対運動(1970年代~80年代)、基地村女性人権活動(1990年代~)、反性売買運動(2000年代~)――を紹介する。さらに、近年の運動の広がりを確認しながら、日本社会にとっての示唆を考えてみたい。



韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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