第10回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会

第10回大会

日 時 : 2009年10月24日(土) 10:00~18:00

場 所 : 慶応義塾大学三田キャンパス第一校舎122,124
     (http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

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□ プログラム:

10:00~12:00   一般研究発表(3名)
12:30~13:10   会員総会
13:10~18:00   シンポジウム
          「全羅道への地域研究的アプローチ―環シナ海の視点から」
          (詳しくは付録参照)
18:30~20:30   懇親会


 2009年10月24日、韓国・朝鮮文化研究会の第10回研究大会が慶應義塾大学三田構内で開催された。当日は午前の「一般研究発表」において森類臣、宮下良子、金美連の三氏が発表した(別項参照)。
 午後は会員総会があり、そののち、1時過ぎから6時まで嶋陸奥彦氏の司会により、シンポジウム「全羅道への地域研究的アプローチ-環シナ海の視点から」がおこなわれた。参加者の発表概要は次のとおり(詳細は本年秋刊行の研究会誌に掲載予定)。

1. 野村伸一「東シナ海周辺の基層文化からみた南道-地域研究の試み」
 主旨説明として、目的、主題設定の理由、視点・方法、論題群、課題、展望の順に要点を述べた。視点としては「三つの枠組みとそれを超えた宗教文化」を提示した。すなわち「農村性」「海洋性」「海を越えての交流」の枠組と「仏・道・儒教の民間化」への着目である。数多い論題をみると、海洋性の部面への論究、女性文化への論究が少ないことが課題となる。内外から全羅道の地域研究をすることで、固定化された地域像が克服されることを展望した。
 次に日本国内の研究視点を補うために韓国の若手の研究者李京燁、金容儀氏に誌上参加を依頼した。あらかじめ得た原稿の要点を野村が紹介した。その要旨は次のとおりである。

2. 李京燁「東シナ海と韓国西南海地域の民俗文化比較」
 木浦大学島嶼文化研究所では全羅道の海洋文化の理解のために東シナ海(とくに中国)の島嶼部を調査した。そのうち李京燁は民俗信仰の比較を担当した。類似点では「中国の堂間と韓国のマレ」「厄払いの船送り」が注目される。差異としては、韓国では堂山信仰が基底にあるのに対し、中国では仏教、道教と関連した宗教的伝統が顕著だということがあげられる。また今日の状況を比較した限り、中国では儀礼の多様さや祝祭的な盛り上がりに欠けるという。
[この点は民国以前の状況に遡って試みる必要がある。野村注]

3. 金容儀「韓国の地域学と湖南学―「地域割拠主義」を超えた湖南学に向けて」
 韓国では地方化の時代を迎えて地域学が活発化した。現在、各地の国公立大学を中心に22の地域学研究所がある。共通するのは大学所在地域の歴史と文化を対象とし、そのを確認し、強化しようとすることである。これは過度の中央志向を是正する反面、排他的、閉鎖的な地域学を生むことにつながる。湖南学においても、期待される課題の追究に留まる傾向がみられる。このなかで新しい方向性を提起する。沖縄との交流の文化史、異文化接触としての「文禄・慶長の役」、植民地時代の日本人の湖南認識などの角度からの探求である。

 次に海域研究の立場から二人の研究者の発表があった。

4. 森平雅彦「高麗・宋交通と朝鮮西南島嶼」
 近年の東アジア海域史研究の一環として朝鮮半島西南部の沿海地域を対象とする。この地域では古代に関心が注がれ、中、近世の交流史は軽視されてきた。こうしたなか、徐兢『宣和奉使高麗図経』により1123年の海道を検証した。文献の「半托伽」は済州島であり、当時の船員はこれをあて山として利用した可能性がある。そのほか、黒山諸島の西方が航路として定着していた可能性、「竹島」と記された島は鞍馬島とみられること、蝟島が給水地であった可能性、古群山群島の神祠は宋の船員にとっても信仰対象であったことなどが推定される。

5. 藤田明良「コメント:海域アジア史からみた全羅道」
 海域交流史から全羅道をみる。東シナ海にはふたつの航路があった。ひとつは徐兢らの通った航路。他は唐末の円仁らが通ったもの(山東半島から南西に下り博多へ)。「多島海」は両航路の交点に位置する。その機能は風待ち・潮待ち、補給、交易、造船・補修、祭祀の場など多様である。文化史では全羅仏教における海域交流の影響、江南に通う海商の寄港地としての役割などが注目される。この地域においては龍王信仰を共通とする。しかし、立地条件の違いによる差異点も究明されなければならない。

 さらに、文化人類学の立場からの発表があった。

6. 伊藤亜人「湖南地方における周縁性と座標軸」
 湖南地方を認識するための座標軸を提示する。生態学的には稲作とその文化があげられる。国土認識における南北の座標軸も重要である。北は旧秩序の中心、南は新秩序興起の地である。さらに朝鮮半島全体に妥当する官(平野部)―民(山間、沿海島嶼部)の座標軸。その他、山と海の対照性も考えられる。山は神聖、権威の側に位置する。一方、海は世俗性、災禍、脅威と結びつく。また与党と野党という政治的な座標軸も考慮される。これらの上で珍島を取り上げる。その周縁性の由来と克服のためのさまざまな活動を具体的な例をあげて考察する。

 以上の報告のあと、さらに三氏による問題提起がおこなわれた。すなわち次のとおり。

7. 原尻英樹「東シナ海域における同年齢集団とアニミズム的世界」
 済州島や壱岐島では同年齢集団が人間関係の基本であった。その重要性は全羅道でも想定されるが、従来の個別調査においては看過されてきた。それは一面で信仰上の繋がりでもある。つまり現在、認識されている以上の意味があったとみられる。周辺との対照研究が必要なのである。

8. 宇田川飛鳥「二重の干拓を生きる界火島民族誌―全羅北道の干潟と干拓事業を中心に」
 海と陸の境界である干潟への関心は高くない。そうしたなか、セマングム干拓事業が進行する界火島を取り上げる。今日、干潟の重要性は再認識されつつあるが、それらの根柢にあるべき問いかけ「干潟・海辺の文化とは何か、人々はいかにしてこの自然と付き合ってきたか」が欠落しているという。

9. 崔在佑「南道の文化 ‘パンソリ’と‘春香伝’―異本間に見える補助人物の性格の差を中心として」
 文学から南道文化の特色を考える。パンソリ系小説の‘春香伝’の異本間で補助人物の姿は様相を異にする。南道で享有された異本において、春香の母月梅は打算的な性格が弱まり肯定的な人物とされる。従者房子は春香との関係において緊張を生まない。また農夫は官僚を非難し、緊張関係を生む。

 以上の各人各様の発表に対して、会場からの質問も活発におこなわれた。たとえば、研究者のいう周縁性について。すなわち漁民、沿海住民の周縁性、賤視という言説は当事者においてどのように認識されていたのかという質問。これは一例だが、文字を知る者たちのあいだでできあがったさまざまな言説を当事者の側から検証していくべきことはいうまでもない。
 また、大きな疑問として、湖南文化というものがそもそもありうるのかという質問もあった。確かに、あれもこれも湖南に独特のものということには問題がある。つまり金容儀氏のいう地域割拠主義のようなものに収斂させるとすれば、再考すべきである。しかし、湖南文化は方言、民謡、巫俗、気質などの基層文化においてひとつのまとまりをなすことは広く認められている。それゆえ、これを前提に議論するのは生産的である。
 このほか、パンソリに関連する質問、内陸部農村地帯への目配りの必要性などの指摘もあり、それに関連して、会場のほうから、専門的な意見提示もあった。全体として、この日のシンポジウムは、休憩時間を除く4時間半余りのあいだ、適度の緊張と真摯な議論が行き交い、盛況であった。
 ちなみに当日の参加者は延べで60名余り(参加費納入者44名)、懇親会には29名(うち大学院生11名)の参加者があった。大会の今後のために記すと、事前に規定の要旨を送付してもらえたこと、また当日の配布物(60部)は大半の発表者が持参してくれたこと、発表時間の制約要請(五分)を快諾してくれたことなどは大いに助かった(とくに問題提起の方々には請容赦)。一方、当日の参加者において、学生、若手の研究者の数がもう少し多ければ、とおもった。また、懇親会の参加者が事前に把握しきれない点(事前回答者は十数名)に運営上、多少のむずかしさを感じた。ただし、事務局の方に過去の諸種のデータがあり、参加者数の大まかな予測はできた。


一般研究発表の部

 午前中の一般研究発表の部では,3名による研究発表が行われた。

 森類臣氏の「任在慶のジャーナリズム観と『ハンギョレ新聞』――『ハンギョレ新聞』の創刊過程から初期を中心に」は,『ハンギョレ新聞』創刊期の中心人物の一人である任在慶のジャーナリズム観と,彼が『ハンギョレ新聞』の創刊に果たした役割について,主として任と関連人物の著作を資料として考察するものであった。言論人としての高度の職業的倫理観や記者クラブへの批判的な姿勢,ならびに『ルモンド』での職業プログラムの経験が,『ハンギョレ新聞』の厳格な倫理綱領の背景にあった点が示唆された一方で,任が政・財界からの資金調達に果たした役割についても指摘が及んだ。また質疑応答では,『ハンギョレ新聞』のこれからの展望として,保守言論批判だけではもう立ち行かなくなっており,発行部数も低下しつつあるという現状認識が,ジャーナリズム・メディア理論との関連で,『ハンギョレ新聞』全体の研究を通じて,ジャーナリズムの近代市民社会における役割の考察を進めることの必要性が示されるなど,今後の研究についての展望も提示された。

 宮下良子氏の「在米コリアンのエスニシティ再考――ロサンゼルスのコリアンタウンの事例を中心に」は,1997年の1回目の現地調査後の変化について,2009年4月の追跡調査をもとに考察を加えた中間報告として位置づけられる発表であった。KYCC等のコリアン・コミュニティセンターの活動と,コリアン・アメリカン1世4名(うち3名が日本生まれ,1名が韓国生まれ)と2世2名のライフヒストリーが主たる考察の対象とされ,教育・学業の重視とその成果に対する必ずしも肯定的ではない捉え方(特に1世)や,エスニシティの多様なあり方が示唆されたが,調査協力者の特殊性への配慮や,個人の語りの個別性,多様性をエスニシティという枠組みで捉えることの当否についての質疑もなされた。

 金美連氏の「南道のキリスト教会と庶民生活――新安郡を中心として」では,韓国全国で最もプロテスタントの比率が高い地域である全羅南道新安郡のキリスト教化の過程の考察と,現地調査に基づく在来文化の変容とキリスト教の土着化についての事例報告がなされた。在来文化との関係では,民俗信仰の排除や冠婚葬祭の様式の変化,来世・霊魂観や生活習慣の変化,識字,村の祭礼,村落共同体の中心となった教会,反動としての巫俗儀礼の復活など,キリスト教の土着化としては,人生行事・年中行事・生業儀礼・冠婚葬祭へのキリスト教的な様式の導入や村落共同体との関係,高齢化や近代化への対応など,盛り沢山な内容であった分,時間的な制約のため,個々の事例の詳しい検討にまでは至らなかった。質疑応答でも,過疎・高齢化地域へのキリスト教の適応,伝統宗教の定義の問題,キリスト教会の布教戦略,庶民生活の実態,仏教との関係等,広範囲にわたる質問やコメントが寄せられた。

韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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