第9回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会

第9回大会

日 時 : 2008年10月18日(土) 10:00~18:00


場 所 : 早稲田大学文学部(戸山キャンパス)36号館6階681教室


10:00~12:00 一般研究発表

12:30~13:10 会員総会

13:10~18:00 シンポジウム

18:30~20:30 懇親会


(1) 一般発表(10:00~12:00)


1.宮原葉子「制度とイデオロギー、意識の中の家族――淳昌郡A里の既婚女性を事例として――」


2.崔在佑「韓国初期叙事作品のジャンル特性について」


(2) 会員総会(12:30~13:10)


(3) シンポジウム(13:10~18:00)


全体テーマ「韓国朝鮮社会における富と威信」


趣旨説明

本田洋


研究報告


1.須川英徳「朝鮮後期の士族家門における威信と富――醴泉郡大渚里在住咸陽朴氏の事例を中心に――」


2.高村竜平「葬法選択と墳墓からみた朝鮮の近代」


3.有田伸「現代韓国社会における富と威信――社会階層論の視点から」


討論


(4) 懇親会(18:30~20:30)


場所:レストラン「西北の風」


費用:大会参加費 1,000円

(懇親会費 (有職者)4,000円  (学生他)3,000円)



発表要旨




(1) 一般研究発表


1.宮原葉子(韓国・朝鮮文化研究会)

 「制度とイデオロギー、意識の中の家族――淳昌郡東渓面亀尾里の既婚女性を事例として――」


 本研究では、韓国社会が父系社会であることを反映した「制度の中の家族」、この制度との関係の中で構築された「イデオロギーの中の家族」、そして研究対象者自身が「私の家族である」と考える「意識の中の家族」という3つの側面に対する比較研究を行った。本発表では、「制度の中の家族」に関する研究結果を中心に発表する。論文の作成に際して、フィールドワークを実施した全羅北道に位置する亀尾里は、17世紀以来現在に至るまで存続している南原楊氏の集姓村であり、全対象者56名のうち49名(87%)が南原楊氏の父系親を持つ男性と婚姻した女性によって構成されている。「制度の中の家族」の分析は、主に本フィールドの戸籍と南原楊氏の族譜、そして婚姻と関連する慣習を対象として行った。


 本研究で利用した戸籍資料は、淳昌郡とソウル大学が共同で行った「長寿地域の家族史研究」というプロジェクトに伴って収集されたものである。そのデータのうち、特に生年月日と婚姻年度、そして入籍年度に注目し、対象者とのインタビューと比較した結果、驚くほどに一致度が低いということ、現戸籍への入籍と婚姻(儀礼の遂行)との関連性が相対的に希薄であったという分析結果を示す。これらの詳細な分析方法と結果、そしてそれらが起因する背景を明らかにする。さらに、多くの対象者は婚姻に際しての自らの戸籍の移動に関して、「実際的な制度」とは異なる「意識の中の制度」を作り出し、それが自身の「意識の中の家族」に大きな影響を及ぼしているという事実を指摘する。族譜に対する分析は、本フィールドが南原楊氏の集姓村であるという条件を利用し、『南原楊氏大同譜(1998)』を用いて行った。ここでは、対象者に関する記述内容や順序に基づいて4つに分類し、南原楊氏に婚入した対象者の族譜での位置づけを明らかにし、族譜に掲載されていない対象者の例を挙げて父系的なイデオロギーである「男児選好思想」の族譜に対する影響について論じる。最後に婚姻と関連のある慣習の一つとして、本フィールドで過去に行われていた「覲行」について言及する。覲行(覲親)のフィールドでの実施方式と衰退、他の研究者による定義と発表者の調査結果との差異について発表する。さらに、覲行の衰退と婚姻儀礼の形式の推移(旧式→新式)との関連の可能性を提示する。




2.崔在佑(島根大学)

 「韓国初期叙事作品のジャンル特性について」


 この研究は、初期韓国叙事作品のジャンル特性を調べる意図で企てられる。韓国文学史で初期叙事作品のジャンルは、大体説話として規定されたが、90年代に入って一部の作品が小説――特に伝奇小説――として規定され始めた。少数でありながら伝奇などの用語を使った研究者がいないとはいえないが、大勢は説話か小説としてみる意見であった。


 本稿は、叙事ジャンルを規定する基本要素を人物-構造-技法という側面から詳細化した後、その基準の中で韓国の初期叙事作品のジャンルを具体化してみようとする。三つの基準の下でその作品が説話ではないことは無論、小説として規定されることも無理あることであることを指摘し、韓国伝奇という新たなジャンルとして規定されるべきであることを明らかにしようとする。作品としては、ジャンル規定を目的とする研究なら必ず対象として取り上げられている『殊異伝』逸文「崔致遠」と『三国遺事』に載せられている「調信」?「金現」、韓国小説を論じる際に一番重要に扱われる『?鰲新話』、そして16世紀の作品集『企齎記異』の作品を主資料にする。


 人物の特性としては二つを提示する。一つは、叙事の核心をなす日常的人物と非日常的人物の間の出会いに社会性が?漏されているという点から、「半社会性」を指摘する。もう一つは、この半社会的な出会いを通じて主人公が「存在的変化」を経験するが、人生の短い時間に経験した非日常的な存在との出会いが、主人公の残っている人生を貫通して影響を及ぼすという点が重要である。構造の特性は、「非葛藤叙事」と「持続不可能な共存」が核心になる。初期叙事作品には、葛藤状況が存在するにはするが、叙事の中で核心的に機能することはない。葛藤状況に及ぶと、対立角を鋭くするよりは、葛藤を回避する様相を見せる。主人公の立場から見ると、非日常的な人物は世界であるが、人物と世界が非葛藤関係であるこのような形象化は、葛藤を核心要素にする小説とは明らかに異質的な地点である。技法的な側面で注目したことは、時・空間の性格と焦点化対象である。韓国初期叙事作品で時・空間は、独自的に機能せず、いつも事件に従属させられている。また韓国伝奇は、男性主人公だけを焦点化の対象とする。作家の認識の中に世界が独自な位置を占めていない、このようなことも小説的ではない。


 上で提示した三つの基準を通して考えた時、韓国の初期叙事作品は、説話ではないことは明らかであるが、まだ小説性を確保してはおらず、小説に向けて進んでいる――ある地点では、すでに小説的な形象化が成し遂げられた部分もある――道程にあるジャンルに属することがわかった。本稿では、そのジャンルを「韓国伝奇」と規定した。




(2) シンポジウム「韓国朝鮮社会における富と威信」




本田洋(東京大学)「趣旨説明」


 韓国朝鮮社会における富と威信の関係を考察するにあたり、本シンポジウムの企画者として、主として人類学的な視角から、議論の方向性と論点を示しておきたい。


 富と威信の関係を考察するには、大きく分けて二つの方向からのアプローチが可能かと思う。一つ目は富を生み出す活動、広くとらえれば経済活動が、どのように動機づけられ、実践されるのか、またそれがいかなる価値を生み出すのかを検討することである。二つ目は、様々な主体による相互作用が交錯するなかで、ある特定の個人や集団が、むきだしの富や政治権力とは異なる、社会的に肯定的な価値づけをされた優位・卓越性をいかに獲得するのか、そしてそこに富や財力がどのように介在しているのかを究明することである。


 韓国の地方社会で民族誌的な研究を行ってきた人類学者にとって、この問題と関連してまず頭に浮かぶのは、地方両班にとっての威信であろう。それは血統の正統性と礼の実践を根拠とし、おおむね邑(旧郡県)規模の士族共同体のなかで交渉・認証されるものとして捉えられてきた。また、このような威信の基盤となる門中についても、同じく父系出自による集団形成が見られる東南中国等の事例とは異なり、富の共有ではなく威信の共有が組織形成の核となっており、経済的機能も弱い点が指摘されている。他方で、近現代の両班の祖先である朝鮮後期の在地士族や農地改革以前の両班系の地主・資産家が、経済的にも卓越した地位を占めていたのは事実であり、その社会的威信を目に見える形で示していた様々な物質文化は、このような経済力なしには実現しがたかったものと考えられる。さらに、在地士族や地方両班の名望家的な影響力において、経済力に相応する社会的な役割が期待されていたのも確かかと思われる。ここで富(の蓄積)は威信の獲得にどのように介在していたのか、また(不義なる蓄財を避けることを含め、)富の蓄積はどのように正当化されていたのか。


 次に論点として提示したいのは、近代における経済活動、なかでも農業以外の経済領域の拡大や利潤追求・資本蓄積が、どのように威信や高いステータスと結びつけられていたのかという問題である。筆者の長年の調査地である全羅北道南原の吏族を例にとれば、植民地期南原邑内の吏族出身の有志は、地主・資産家、官公吏、事業家、自営業等の農業以外の職業にも広く従事し、政治的には左派から右派まで見られた。彼らは、両班の関与が少ない王朝時代の邑治の諸儀礼施設の維持や礼の実践を目的とする結社など、両班の文化伝統を準拠枠としつつも、そこでは周縁的な位置づけしかなされていないような文化伝統にも積極的に関与していた。さらに、邑内の市街地化と関連する公益的な事業に従事したり、パンソリ・料亭・妓生によって担われていた一種の遊興文化にも強くかかわり、伝統とモダンが混じり合った地域祝祭の創生と展開にも寄与していた。在地士族よりも低い身分集団の出身で、多様な経済活動に従事し、一方で儒教伝統、周縁的な身分伝統、ならびに遊興文化に、他方でモダンな文化や近代の公益的・社会的事業にそれぞれ異なる形で関与していた吏族有志の存在は、蓄財・経済活動と威信・ステータスの関係が、両班的なそれを一つの参照枠としつつも、それには留まらない多様なあり方を見せるようになっていたことを示すものではなかろうか。


 最後の論点として、解放後の韓国社会、なかでも産業化の過程における経済活動の意味づけと威信・ステータスの構築をあげておきたい。この時期の特徴として、国家の経済発展という至上目標のもとで、経済開発と富の蓄積(あるいは利潤追求)がそれ自体で肯定的な価値づけをされるようになったことと、高学歴・ホワイトカラー(ならびに専門職)を中核とする新しい都市中産層が形成されたことを指摘できるであろう。それは経済活動におけるジェンダー・バイアス、例えば女性(特に主婦)のインフォーマルな経済活動の意味づけなどを再編成するものであったろうし、また宗教の階層化を招くものでもあったと考えられるが、ここで特に注目したいのは、教育と威信・ステータスの関係である。産業化の過程で、社会上昇の資源としての教育(とその結果としての学歴)の重要性が高まっていったが、それとともに新しい都市中産層の間では、子供の教育にどれだけの財・資源・労力をどのように投入するのかが、自らの社会ネットワークのなかでの威信・ステータスの維持・上昇に重要な意味を持つようになったとみられる。のみならず、子供の教育をめぐって居住地、生業・職業、世帯・家計・生活のあり方の選択や宗教活動がなされるといったように、子供の教育は生活の営為、あるいはライフスタイルを戦略的に組み立てる一つの動因ともなっている。そしてこのような教育と威信・ステータスの連関は、特定のステータス集団のなかでのみ意味をもつものではなく、より下のステータス集団に属する者にとっても一つの参照枠となっている。このような経済活動―教育―ライフスタイル(とそれに埋め込まれたステータス)の関係は、両班的な富と威信の参照枠や近代の経済活動と威信の多様な関係のあり方とどのように関連付けられるのであろうか。さらに、教育を媒介としないような富の活用、あるいは消費行動は、威信やステータスとどのような関係にあるのであろうか。




1.須川英徳(横浜国立大学)

 「朝鮮後期の士族家門における威信と富――醴泉郡大渚里在住咸陽朴氏の事例を中心に――」


 周知のように、18・19世紀は、社会的に成立していたそれまでの身分秩序が、「身分上昇」の動きのなかで、変質していく時期である。戸籍上の記載を「幼学」に変えた者たちが多数出現し、郷吏を輩出していた家門が郷吏の職から離脱するとともに士族家門の族譜への入録を果たすなど、いわゆる「身分上昇」が進んだことはよく知られている。

 しかし、逆に地方在住の士族家門においては、分割相続による資産の減少だけでなく、老論優位の政治情勢のなかで仕官や官品上昇の途を絶たれた人々も多数存在していたのであり、他人の土地を耕作して生活を維持する「両班作人」も出現し、『両班伝』に登場する貧窮両班は現実の存在であった。


 本報告では、今日の慶尚北道醴泉郡竜門面大渚里に暮らしていた咸陽朴氏一族が代々にわたって書き残した「日記」、「日用」の記事を材料とし、19世紀における南人家門の地方士族が、どのような暮らしぶりであり、彼らにとって学問とは何であったのか、士族としての誇りとはどのようなものだったのかを考えてみたい。なお、この「日記」、「日用」を用いた共同研究が、安秉直・李栄薫編著『マッチルの農民たち』(一潮閣、2001)としてまとめられているので、数量的データなどはそれに依拠するものとする。また、19世紀における地主経営にたいし数量的な研究が近年になっていくつか出てきているので、その結果などとも重ね合わせて、19世紀の地方士族が抱えていた課題なども考察しようと思う。




2.高村竜平(秋田大学)

 「葬法選択と墳墓からみた朝鮮の近代(仮)」


 韓国では1990年代末から官民一体となった火葬推進キャンペーンが展開され、現在では都市部での火葬率が70%をこえるほどになっている。その一環としてソウル市が製作したビデオ『葬墓文化、もう変えましょう』(1999年)では、以下のようなナレーションが流れる。


 「我が祖先たちは、時代と現実にあった葬墓慣習を発展させてきた。…儒教的・風水地理的葬墓慣習が中心となった朝鮮時代に入って抑仏崇儒政策により火葬を禁止し、土葬を強力に施行した。それにつれて我が国の葬墓文化は、徐々にその姿を変えていった。とくに、祖先の陰徳によって後孫への発福を祈願するという、典型的な農耕社会の遺産としての土葬は朝鮮時代後期になって先山制に発展し、次第に墓域を広げるなど豪華墳墓を志向するようになった。人口が多くなく、農耕社会であったために可能であった土葬中心の葬墓慣習は、今日までつづき多くの社会問題を惹起している。」


 ここでは、土葬-風水-儒教-先山-豪華墳墓が一体となって、「韓国の伝統的な葬墓慣習」として描かれている。この「伝統的な葬墓慣習」にたいする批判と対案が、火葬推進政策であると位置づけられるわけである。


 とはいえ、「伝統」はすべて否定されるわけではない。おなじビデオでの「火葬し近くでおまつりすることが、この時代にあった孝であると考えます」という「葬墓文化改革汎国民協議会」事務局長のコメントにあるように、「改革」とは、維持すべき伝統と振り捨てるべき伝統とをより分ける作業でもある。大規模で王陵を模した装飾品を持つ墳墓は、「豪華墳墓」とよばれ批判されるし、一般的な墳墓であってもそれは山地の非生産的な利用形態であるとされる。しかしその一方で、祖先の墓域を整備し、その祭祀を大々的に行うことは批判されるわけではない。この発表では、どのような墓・葬送が正当なものとされ、どのようなものが批判の対象になってきたのか、を検討することで、韓国社会における墓と葬送を通じた富と威信の表示について考えたい。


 一方、先にあげたナレーションでは、葬送と墓制を前近代から連続したものとし、それを改革するというかたちで政策を描くことで、植民地期の歴史はまったく無視されている。しかし実際には、朝鮮総督府による墓地への管理はつよまっていたし、風水を迷信とし火葬をすすんだ葬法とする認識が、朝鮮人も含む多くの人によって表明されてもいた。この発表では、植民地期の政策と、そのような環境下で形成された墓制に関する認識が、解放後にどのように影響したのかについても検討する。




3.有田伸(東京大学)

 「現代韓国社会における富と威信――社会階層論の視点から」


 富と威信は、権力と並んで、社会階層を構成する重要な次元である。韓国社会における階層構造、ならび社会的地位上昇のための諸行為を理解する上でも、経済的なリソースである富のみならず、関係的資源である威信に着目することの重要性は大きい。ひとびとの持つ高い「教育熱」は韓国社会の特徴的現象の一つといえようが、このような現象も、教育達成によってもたらされる経済的利益だけではなく、教育達成それ自体、あるいはそれが可能とする職業的地位達成による威信の獲得という目的への着目なくしては、十分に理解されえないであろう。


 本シンポジウムの主題と関連してここでまず検討すべきは、現代韓国社会において富と威信がどのように分配されており、その間にどのようなズレが存在するか、またこれら二つの資源のそれぞれは、もう一方へとどのように変換されうるのか、といった問題であろう。社会階層論の文脈に基づけば、前者は「地位の非一貫性」問題として、社会階層構造それ自体の探求に関わる問題であり、後者は世代間・世代内階層移動の枠組みを通じて接近されるべき問題といえる。もちろん、後者に関しては、そこにおいて教育達成の果たす役割の検討が大きな課題となるであろう。


 しかし一方で「威信が強く意識され、それがひとびとの行為に大きな影響をおよぼす」という状況は、身分制度の堅固な伝統社会ならばともかく、現代社会においては必ずしも当たり前の事柄ではないという点にも十分な注意を払う必要があるだろう。市場における交換可能性を背景とする富や、国家の統治機構に支えられた権力などに比べれば、(褒章などの例外を除き)威信の成り立ちに社会のオフィシャルな制度が寄与している程度はより小さく、結局それは、社会構成員の相互行為にその存立基盤を強く有する価値体系であると考えられるためである。


 とするならば、韓国社会における威信の成立メカニズム自体の検討も重要な課題とならざるをえない。歴史的な観点に立てば、伝統社会における身分制度のあり方にその要因を求めることができるだろう。しかし同時に、威信の「起源」のみならず、現代社会においてそれがどのように再生産され続けているのかに対しても何らかの明確な説明が必要となる。このためにはおそらく、ひとびとの相互行為において威信がどのように「利用」されているのかに関するミクロな視点からの考察と、威信体系が、富や権力といった他の資源によってどのように裏支えされているのかに関するマクロな視点からの考察の双方が要されるであろう。

韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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