第13回研究例会 of 韓国・朝鮮文化研究会

 第13回研究例会

日時:2004年5月29日(土曜日) 午後3時~7時

【発表1】

発表者:全京秀(ソウル大人類学科教授、東京大学文化人類学研究室客員研究員)

タイトル:「赤松智城の学問世界についての一考察」

発表概要:
 現時点において、宗教学者・赤松智城を論ずる理由は次のとおりである。
 第一に、発表者は京城帝国大学の歴史とその学問的成果に関心をもっている。赤松智城は、大学創設当時から宗教及社会学研究室の主任教授を歴任し、朝鮮と満洲のシャーマニズムについて集中的な研究をおこなった。これまで京城帝大における朝鮮関連の研究については、秋葉隆に集中して紹介されてきた。秋葉の朝鮮民俗学が展開、蓄積していく過程において、赤松がどのような役割をはたしたのかについて論じてみたいというのが、本発表の意図である。
 第二に、発表者は人類学史の整理に関心をもっている。赤松は人類学者ではないにもかかわらず、彼の研究活動は人類学と密接な関連性をもっていたと評価できる。彼のシャーマニズムについての研究が、宗教学者としての作業であることは明らかである。しかし京城帝大の社会学講座を担当していた秋葉教授が、赤松の直接的な影響を受けて朝鮮と満蒙のシャーマニズムに関する研究業績を残したという点が立証されれば、人類学史において秋葉の占める位置を評価するための間接的な論評という次元において、赤松に関する議論が必要な面があると考える。
 第三に、赤松智城の研究活動のプロセスにみられる時代的な意味に対する評価を、日本帝国の朝鮮総督府と満洲国の支配および大陸侵略との関連性において議論し得る部分がある。赤松の研究過程において、学術活動と軍事活動の連携関係を立証するのは、ある程度可能なことである。赤松は、戦争が激化する直前の1941年春、京城帝大の教官職を辞任し、自ら帰郷した。そのことにより〔いわゆる引き揚げではなく〕平常的な引っ越しをおこなうことができ、彼は少なくない資料を引っ越しの荷物として運搬することができた。彼が持ち帰った物のなかには、他の研究者にはあまり見られない重要な資料が入っており、それらの資料の
一部が最近確認された。この機会にそれらの資料の一部を紹介したい。

【発表2】

発表者:洪宗郁(東京大学韓国朝鮮文化研究室博士課程)

タイトル:「アジア的生産様式論と転向-印貞植の農業論を中心に」

発表概要:
 印貞植は植民地朝鮮を代表する農業経済学者であった。かつて朝鮮共産党の運動に参加し投獄された経験も持っていた印は、日中戦争を契機に転向し日本政府の政策を支持するようになる。転向を前後して、印の農業論は反封建革命論から農業再編成論に変化するという断絶を示した。しかしこうした変化にもかかわらず、朝鮮農業における「半封建性」「停滞性」が議論の前提になっていることには変わりがなかった。本報告では、「アジア的生産様式」「アジア的停滞性」に対する印の認識を手がかりに、農業論における転向前後の断絶と連続を検討する。そうした報告を通じて、植民地期から現在に至るまでの朝鮮半島の経済構造・農業問題についての理解の増進に寄与するとともに、思想の放棄・断絶としてのみ理解されてきた転向の問題を見直す新しい枠組みを提示することを試みる。

会場:東京大学(本郷キャンパス)赤門総合研究棟・738番教室

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