第35回研究例会 of 韓国・朝鮮文化研究会

 第35回研究例会

日時:2010年7月3日(土曜日) 午後2時~5時

会場:京都府立大学 合同講義棟3F 第4講義室

最寄り駅:北山駅(地下鉄烏丸線)
■アクセス:http://www.kpu.ac.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=28
■建物位置:http://www.kpu.ac.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=143&frmCd=8-3-0-0-0


【発表】

○発表者1:全惠松(神戸大学・総合人間科学研究科・院)
▽発表題目:日本植民地期前後の済州島における宗教運動と仏教復興
      ――蓬廬観比丘尼(1865年-1938年)と観音寺の役割およびその評価をめぐって

 蓬廬観比丘尼は、200年余り仏教が途絶えた20世紀初頭の済州島で仏教の復興に大きく貢献した人物である。1908年、彼女は、済州島で「観音寺」という仏教寺院を建立し、観音寺を中心に精力的な布教活動を行った。儒教が統治理念であった朝鮮王朝時代に、済州島の仏教は破壊的な打撃を受け、壊滅的な状態で日本統治時代を迎えていた。かつてシャーマニズムに匹敵する規模で盛んであったとされる済州島仏教は、蓬廬観比丘尼による仏教布教活動によって息を吹き返したと言われている。蓬廬観比丘尼の影響力の大きさは、今日、済州島にある主要寺院10寺の中で、5寺を彼女が建立したものであることからも、うかがうことができる。一般に、日本統治時代には、済州島に限らず、朝鮮半島全域にわたって、日本仏教諸派による仏教布教活動が盛んに行われ、仏教寺院の再建などにも寄与したとされているが、実は蓬廬観比丘尼のような在来の尼僧や僧侶による仏教復興の動きも盛んであった。日本統治時代に、現地出身の仏教女性出家者によって行われた仏教復興の活動は、積極的な評価が与えられても不思議ではないと考えられるが、済州島史・済州島仏教史において、彼女の活動が取り上げられることはほとんどない。

 おそらく、その理由は、一般に彼女が「親日派」と位置づけられていること、また、彼女の宗教活動が呪術などを交えたもので、「異端」と目された新宗教運動と密接に関連したものであることと無関係ではないであろう。日本植民地期当時の新聞や仏教雑誌の記事には、彼女が設立した「朝鮮仏教協会」は、日本仏教と活発に交流を行ったり、日本政府と協力して法事を行い、政治献金をしたりしたという記述が見られる。さらに、道教と混交した呪術的色彩の強い仏教は、植民地為政者から「異端」と位置づけられ、その見解はその後の韓国人の見解にも引き継がれてきた。現在、韓国仏教の主流派で、「正統な」仏教とみなされている曹渓宗は、呪術的宗教行為を批判している。その結果、数多くの奇跡譚を伴う蓬廬観比丘尼について、積極的に評価することは、現在でも困難な状況にある。

 ただし、蓬廬観比丘尼は、全羅道海南に所在する曹渓宗の系列の大興寺にて受戒していたため、授戒の戒脈を通じて、今日、彼女の弟子の比丘尼たちは、曹渓宗の門中の一つに属している。

 本発表では、蓬廬観比丘尼と観音寺の役割に焦点を当て、韓国で支配的な「反日」史観、反呪術的啓蒙主義のために、これまでほとんど取り上げられることのなかった近代済州島の宗教運動と仏教復興について考察したい。本研究は、極めて研究蓄積が少ない済州島仏教の近現代史や韓国比丘尼の役割について明らかにするだけでなく、日本統治下における蓬廬観比丘尼の呪術的仏教の布教を、植民地統治下におかれた済州島民の精神的・宗教的需要に応えた、一種の「千年王国運動」[E.J.ホブスボーム(1971)、ブライアン・R・ウィルソン(1976)、ノーマン・コーン(1978)]としてとらえ、検討したい。



○発表者2:朴眞煥(京都大学・人間・環境学研究科・院)
▽発表題目:徴兵拒否「運動」とは何か
      ――徴兵拒否運動をめぐる葛藤の事例から見えること

 2010年3月26日、韓国海軍の哨戒艦が沈没し、46人の軍人の命が失われた。その46人中10人が兵士で、彼らは「徴兵の義務」をこなす中、命を失ってしまった。韓国のメディアは連日、「戦死した兵士」たちのせつない話を語っていた。除隊する日を目の前にした兵士、入隊したばかりの兵士が家族に送った手紙など。韓国国民は「兵士」たちの話に胸を痛めた。韓国海軍の哨戒艦の沈没事件により、南北関係は緊張感が高まった。これまでも、このような軍事的な緊張が起こる度に、徴兵制の必要性や軍事文化は広まってきた。このような軍事的な緊張の中、徴兵制については殆ど議論されず、制度そのものもほとんど変化せず「根強い制度」として韓国社会に、軍事文化を再生産してきたと思われる。

 徴兵制というものは何なのか。発表者も徴兵制から逃れられず、また抵抗する勇気もなく、軍人になった。しかし、ある日「なぜ私は軍人になり、ここで働くのだろうか」という疑問が沸きあがり、徴兵制研究を始めるきっかけとなった。

 徴兵制というは「韓国の男」にとって通過儀礼のような制度であることに気が付いた。徴兵を終え大学に復学し大学生活を送る「予備役」という立場の者たちが政治的な力を持つことに気がついた。その「力」は男性ではなく女性にも影響を及ぼし、大学の日常は「軍隊を経験した人」に「力」を与えるさまざまな言説に支配されていた。「徴兵制に関する言説」は大学の構成員に共有され、実践され、軍事文化は再生産され、徴兵制や軍事文化への抵抗は抑圧されていた。

 しかし、2001年、徴兵を拒否する人々が公に現れ始めた。「徴兵拒否運動」の登場である。本発表ではこの徴兵拒否運動を「ポスト民主化社会における市民運動」として定義する。韓国社会における徴兵拒否運動は、徴兵制と軍事軍化に抵抗する運動という意味を超え、政治の領域におけるグローバル化のプロセスや現代韓国社会の理解を深めることができる。

 本発表では、韓国国内の二つの徴兵拒否運動団体に生じた葛藤と「世界徴兵拒否者の日、韓国大会」の期間中に生じた韓国国内の徴兵拒否運動と海外の徴兵拒否運動との葛藤を中心に論じ、韓国社会における徴兵制や徴兵拒否運動、そして若者たちの市民運動について再考する。

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