第11回研究大会 of 韓国・朝鮮文化研究会

第11回大会

日 時 : 2010年10月23日(土) 10:00~18:00

場 所 : 東京大学 本郷キャンパス法文1号館1階113教室
     法文1号館→(http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
     本郷キャンパスへのアクセス→(http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html

□ プログラム:

10:00~12:10   一般研究発表

          崔在佑「没落両班の形象とその原因について――朝鮮後期の野談に見られる様子を中心として」
          森類臣「言論民主化運動と『ハンギョレ新聞』創刊準備過程の一考察――「組織化」(organization)を中心として」
          李潤馥「オンライン上の‘宗親会カフェー’文化に関する一考察」
          大石和世「朝鮮近代における読者大衆――本夫毒殺美人事件報道について」

12:30~13:10 会員総会

13:10~18:00 シンポジウム「韓国朝鮮社会における「武」の位相」

       企画趣旨説明:仲川裕里

       報告:
          六反田豊「朝鮮時代の『武』と武臣」
          月脚達彦「近代朝鮮の儒教的知識人と『武』──朴殷植と『尚武の精神』」
          春木育美「韓国の徴兵制と軍事文化の中の男と女」

       総合討論

□ 懇親会
時間:18:30~20:30
会場:東京大学向ヶ丘ファカルティハウス(弥生キャンパス)、レストラン・アブルボア
(Restaurant Abreuvoir)
会場へのアクセス→http://www.abreuvoir.co.jp/2009/UT/

□ 費用

□ 一般研究発表

■ 崔在佑「没落両班の形象とその原因について――朝鮮後期の野談に見られる様子を中心として」

 昨年の研究大会で、朝鮮後期の両班と農民(庶民)との関係についての議論があった。<春香伝>の主人公である李道令が暗行御史となった後、物乞いの格好で南源地方に下がって来て農民達と会話を交わす場面での問題提起であった。そのときの要旨は、いくら物乞いの格好であっても、両班の姿をしている李道令に農民達が皮肉を言うとか愚弄する行動ができるかというものであった。
 本稿は、このような問題提起に対しての文学的観点からの解決策模索の一環である。朝鮮後期に入っても、両班の権威が強固だったことは認められる。しかし、両班層の量的膨張と権威の維持の裏面では、没落の道に落ちた両班も多量に発生している。ここでは朝鮮後期の野談に見られる没落両班 の様子を見せることで、没落両班と庶民と の関係について考える機会を提供すること と共に、作品の中から推定できる彼らの没 落の原因を考えてみようと思う。
 作品の中に見られる没落両班は、大体三 つの形象をしている。その一つは、すでに 両班の権威を失った後にも両班の体面を固 守しようとする部類である。又一つは、両 班としての権威は捨て、庶民と同じ行為で 糊口の策とする人々である。最後の部類は、 完全に没落し、両班としてのみならず人間 としてもどん底の立場まで落ちてしまった ケースである。彼らは、みんな自殺で生を 終えるか、死の直前の状況に置かれている。
没落両班の発生原因は、大体経済的な没 落がその重要たる原因として見做されるが、 具体的には次の三つに分けられる。一つは、 親特に父の死により、経済的な自立基盤を 喪失することで、没落両班の立場に落ちて しまう場合である。又一つの理由は、政治 的な理由による没落が挙げられる。当時が 党争の激しい社会であったことを想起して みれば、党争の犠牲がその主要な原因とし て考えられる。その他のもう一つの理由は、 社会的関係形成に失敗することで没落の道 に落ちた場合である。この場合は大体科挙 に合格することができなくなり、両班とし ての社会的な地位が確保できなくなった場 合であるといえる。
 文学作品の中から調べられる没落両班の 形象は、庶民と同じ、或いは庶民より劣っ ている生活を過ごしていた当時の実状を如 実に見せてくれる。彼らの様子を通し、わ れわれは朝鮮後期の両班社会の一面をリア ルに再構成してみる機会を得たといえるだ ろう。

■ 森類臣「言論民主化運動と『ハンギョレ新聞』創刊準備過程の一考察――「組織化」(organization)を中心として」

 1988 年5 月15 日の『ハンギョレ新聞』 創刊は、韓国の民主化を希求する「運動」、 もしくはその延長線上にあった。『ハンギ ョレ新聞』創刊の本質は、(1)表現・報道 の自由を求める政治的民主化運動(政治的 権利を獲得する運動)(2)権力監視をせず、 政権の庇護を求めて自己検閲を繰り返す企 業メディア(Corporate Media)を否定し、 健全なジャーナリズムを求めてメディア界 の民主化を希求したメディア民主化運動 (3)企業メディアの欠点を克服するため のオルタナティブ・メディア創出運動、と いうように分析できる。また、創刊過程を 理論的に検討すると、「組織化」 (organization)、集合運動のための「動員化」 (mobilization)、創刊結果としての「制度化」 (institutionalization)という分類ができる。
 本研究は、上記創刊プロセスの、特に「組 織化」に焦点を当てて考察することを目的 とする。具体的には、東亜自由言論守護実 践委員会(以下、東亜闘委)・朝鮮自由言論 守護闘争委員会(以下、朝鮮闘委)の「自 由言論運動」から、民主言論運動協議会(以 下、民協)設立を経て『ハンギョレ新聞』 創刊に至る流れを整理・分析し、運動とし ての「新・新聞構想」がどのように具体化 していったかを検証する。
 1975 年のいわゆる「75 年免職事態」(『東 亜日報』記者110 名、『朝鮮日報』記者30 名が解雇)、80 年のいわゆる「言論大虐殺」 (当時の政府発表では298 名が解雇、635 名が自主退社)で、『朝鮮日報』『東亜日報』 など大手新聞から大量に解雇された記者た ちが、東亜闘委、朝鮮闘委などを組織し大 手新聞と対峙、「自由言論運動」を展開した。
 「75 年免職事態」で解雇された記者36 名 と、「言論大虐殺」で解雇された記者のうち 27 名が、後に『ハンギョレ新聞』創刊に参 画した。朝鮮闘委は、1984 年10 月24 日の 成立記念行事で「新しいメディアの創立を 提起する」という宣言を採択した。また、 免職記者の一部は1984年12月19日に民協 を組織し、1985 年6 月15 日に機関紙『言 葉』創刊した。『言葉』創刊号は「新しい言 論機関の創設を提起する」という無署名記 事を掲載し、①民衆による共同所有・共同 運営②民衆の表現手段③抑圧的な政府への アンチテーゼ、などが謳われた。共同所有・ 共同運営構想には、『ハンギョレ新聞』の創 刊基盤となる「国民株」制の萌芽が伺える。
 1987 年6 月29 日の盧泰愚による「民主化 宣言」以後、民協実行委員会は「新・新聞 創設研究会」を組織し、同年9 月1 日に創 刊事務局を開設、宋建鎬を委員長とする「創 刊準備委員会」が、196 名の免職記者たち によって立ち上げられた。1987 年『ハンギ ョレ新聞』創刊につながる、最初の本格的 行動であった。
 『ハンギョレ新聞』創刊は、言論分野で の民主化運動勢力の結集により時間をかけ てその社会的土台が準備され、社会全体の 民主化とともに進捗した。言論民主化運動 の側面から分析すると、「新・新聞構想」が 提起され具体化していく流れは、当時の韓 国にあって必然的な要求であったと指摘で きよう。

■ 李潤馥「オンライン上の‘宗親会カフェー’文化に関する一考察」

 1999年5月に開設された韓国の代表的な コミュニティサイトであるダウムカフェー には、ほとんどすべての姓氏(父系血縁集 団)の‘宗親会カフェー’が形成されてい る。このような宗親会カフェーは、例えば 2010 年6 月現在、慶州李氏カフェー6,921 人、杞渓兪氏カフェー3,813 人、豊山柳氏カ フェー852 人のように会員数も多く、その 活動もかなり盛んである。
 オンライン上の宗親会カフェーは従来の 宗親会(都会化と共に都市で新たに形成さ れた血縁集団)のように、同じ父系血縁集 団の成員であれば誰でも入会することがで き、主に遠親者で構成されている。しかし 従来の宗親会と違い、このようなオンライ ン上の宗親会カフェーでは必ずしも経済的、 社会的実力者が中心的役割を担っているわ けではない。オンライン上の宗親会カフェ ーでは、むしろよく参加し、書き込む普通 の人々が中心的役割をしている。
 また、このようなオンライン上の宗親会 カフェーは、現実世界の宗親会など従来の 血縁集団をベースに開設されたホームペー ジともその性格がかなり異なる。従来の血 縁集団をベースにして構成されたホームペ ージの場合、現実世界にある集団の補助的 な手段としての色彩が強い。例えば、ホー ムページのメイン画面には会則(定款)な どが公開されており、掲示板には現実世界 にある集団の催しと係わる案内が多い。
 ところが、オンライン上の宗親会カフェ ーは、最初、現実世界の組職化された血縁 集団とは関わりなく構成されており、尚且 つ、現実世界の宗親会の会則(定款)のよ うなものも特にあるわけではない。情報化 と共に新たに現われ、成員どうしの人間関 係が新たに形成されているオンライン上の 場であると言える。
 しかし、このようなオンライン上の宗親 会カフェーにおいて人間関係の展開は、現 実世界の人間関係とは関わりなく、趣味や テーマを中心にオンライン上で始まったオ ンラインコミュニティとはその性格がかな り異なる。例えば、趣味やテーマを中心に オンライン上で始まったオンラインコミュ ニティでは一般にインターネットユースが 仮名あるいはニックネームで参加している が、宗親会カフェーでは一般に人々が実名 で参加している。
 筆者はダウムカフェーにある、HS 李氏 の宗親会カフェーを中心に、運営者及び参 加者に対するインタビューや参与観察など を通じて、成員の参加様相、集団の構造と 動学(位階秩序の形成、紐帯の性格、集団 アイデンティティの形成など)に関して報 告したい。成員の参加様相、集団の構造と 動学などについて、特に、従来の門中や宗 親会との比較の視点及び現実世界の人間関 係と関わりなくオンライン上で始まったオ ンラインコミュニティとの比較の視点で検 討していきたい。

■ 大石和世「朝鮮近代における読者大衆――本夫毒殺美人事件報道について」

 本発表は、1924 年に発生した本夫毒殺美 人事件報道を通して、当時の新聞・雑誌読 者の読みの様相、とくにその解釈コードに 接近しようとするものである。資料は、当 時発刊された諺文新聞を主に用いる。
 本夫毒殺美人事件とはつぎのような出来 事であった。1924 年、20 歳女性K が夫を 毒殺したとして捕らえられた。彼女は、地 方法院で死刑の判決を受けたが殺害を否認 し、京城覆審法院に上告した。上告は諺文 新聞によって報道された。このとき新聞が K を「絶世の美女」と書いたため、この事 件は世間の注目を集めるようになった。裁 判の様子は新聞によって詳細に報道された。
 これを読んだ人びとから、裁判所、弁護士 に数多くの投書が寄せられた。公判のたび に、彼女を一目見ようとする数百人から数 千人の老若男女が裁判所を取り囲み、交通 渋滞を巻き起こし、群衆を阻止しようとす る警官との間でもみ合いがおこった。
 近年、植民地近代の問題に関連して、新 聞、小説の読者に焦点を当てた研究が展開 されている。しかし、当時の読者像を再現 することは極めて困難である。なぜなら、 大部分の読者がみずからの意見を公的に表 明することはなかったからである。しかし、 この事件報道では、読者の意見のみならず、 巷間のうわさまでも、新聞記事を通して、 バイアスがかかってはいるが、うかがうこ とが出来る。
 本夫毒殺美人事件報道を通して、当時の 読者が共有する複数の事件解釈の論理を析 出することができる。それは、①有罪か無 罪かをめぐる司法制度にもとづいた司法の 論理、②強制結婚による弊害を告発する啓 蒙主義的論理、③儒教実践に則った伝統的 論理、④「美人毒婦」というセンセーショ ナルな表題によって読者大衆の関心をひき つけようとする出版資本主義的論理である。 ④の基底には、『春香伝』や『薔花紅蓮伝』 などの古典小説にみられる物語的論理が存 在する。
 本夫毒殺美人事件報道は、大衆社会の顕 在化であると同時に、朝鮮半島において共 有される倫理の歴史的重層性を明らかにす ることのできる事例といえる。


□ シンポジウム「韓国朝鮮社会における「武」の位相」企画趣旨(仲川 裕里)

 「儒教国家」というイメージが対内的に も対外的にも前景化されている韓国朝鮮で は、「文」が儒教規範と結びつけられ、韓国 朝鮮社会の特徴として強調される一方、基 本的に儒教と相容れない「武」は「文」に 劣るものとされ、韓国朝鮮社会の特徴とは されてきていない。
 その一方、現在の韓国は、健康な男子国 民が全員兵役の義務を負う国民皆兵制をと る国家であり、制度化された「武」の下で、 軍事文化が形成されている。また、李舜臣 崇拝や関羽崇拝に代表されるように、本国 や中国の歴史に現れる武人を崇拝する、武 将崇拝・武神崇拝も見られる。歴史的にみ ても、高麗時代には武臣が政権を掌握した 時期があった。「文」に対する「武」の劣位 が強化された朝鮮王朝時代でも、武官は「両 班」の一角を占めていた。近代においては、 帝国列強の近代的軍事力と対峙し、その圧 倒的な武力によって屈服させられるなかで、 抗日義兵運動が展開されている。現代史に おいても32 年間にわたって軍人政権が続 いていたし、軍人政権から文民政権に移行 した後も徴兵制が維持されているのは先に 述べたとおりである。
 今回のシンポジウムでは、このように、 積極的に強調されることはなくても、韓国 朝鮮社会に確かに存在してきた、あるいは 現在存在している「武」の要素を取り上げ、 韓国朝鮮社会において「武」にどのような 位置づけ・意味づけがされてきているのか を考えてみたい。これまでの韓国朝鮮研究 では、例えば「高麗前期の軍制研究」とい ったように、「武」に関連することが個別に 研究されてはきたが、「武」という視座から の研究は行われていない。今回のシンポジ ウムでは、様々な分野から、「武」という切 り口を使った活発な議論が出てくることを 期待する次第である。

■ 六反田豊「朝鮮時代の『武』と武臣」

 一般に、朝鮮時代の国家体制は「両班支 配体制」と表現されることが多い。「両班」 とはいうまでもなく東班(文班、文臣)と 西班(武班、武臣)の総称であり、本来は 現職の文武官僚を意味する言葉である。し かし、「両班」=文武官僚とはいっても、朱 子学理念に基づく徹底した文治主義を採用 した朝鮮王朝では「武」よりも「文」が重 んじられ、実際にはさまざまな面で文臣が 武臣に優越していた、というのが半ば通説 化した理解であろう。
 文臣と武臣との間に明確な制度的格差が 設けられていたことは事実であるし、政治 はもとより軍事においても武臣ではなく文 臣がその主導権を牛耳っていたというのも、 一般論としてはたしかにそのとおりであろ う。しかしそうだとしても、そのことがす ぐさま「文」に対する「武」の優越を意味 するわけではもちろんない。また、文臣よ りも劣位に置かれていたとされる武臣では あるが、近年の研究では、朝鮮後期になる と彼らによる閥族家門が形成されてくると の指摘もされており、武臣の社会的・政治 的な位置づけについても再考の余地が少な からずあるように思われる。
 そこで本報告では、まず第一に朝鮮王朝 にとっての「武」のあり方をおもに制度的 な側面から考察する。本来であれば、為政 者でもある儒者官僚たちが「武」をどのよ うに捉えていたのか、さらには彼らが信奉 した朱子学における「武」の位置づけがど のようなものであったかという点について、 思想史的な視点からの接近がなされる必要 があろうが、それは報告者の手に余る作業 であり、今回は触れない。ここではおもに、 そうした思想的背景のもとに実際に形作ら れた朝鮮王朝の軍事制度や国防体制のあり 方に絞って考察したい。次に第二の課題と して、武臣やその輩出家門の具体的な様相、 彼らの社会的・政治的な位置づけについて も、近年の研究に依拠しながら若干の検討 を試みることにしたい。
 ところで、いうまでもなく「武」は暴力 と深く関連するが、暴力と同一物ではない。 国家権力が暴力を組織化し体制内化したも のが「武」であり、それを担ったのが武臣 である。本報告は「武」と武臣を以上のよ うに把握したうえで議論を進めていく。朝 鮮時代における暴力やそれを担う存在とし てのアウトローの問題はそれ自体としては 興味深い課題ではあるが、本報告では直接 的には取り上げない。それらが「武」や武 臣と接点を持つ部分があるとすれば、その 限りにおいて言及するにとどめたい。

■ 月脚達彦「近代朝鮮の儒教的知識人と『武』──朴殷植と『尚武の精神』」

 1905 年に日本の保護国となった後、大韓 帝国では失った国権を「自強」=「実力養 成」によって回復しようとする「愛国啓蒙 運動」が行なわれた。この時期、主に日本 と中国を通じて入ってきた社会進化論が思 想界を風靡し、「愛国啓蒙運動」においては、 世界は「弱肉強食」「優勝劣敗」の自然法則 が貫徹する帝国主義の世界であり、そのな かで大韓帝国は弱者・劣者であるとする自 己認識が広まった。国の生存のためには、 自国を強者・優者とせねばならないことに なり、「武」に対する関心が高まったのであ る。
 たとえば、「民族史学」を切り開いた歴史 学者であり(日本では主著の『韓国独立運 動之血史』が『朝鮮独立運動の血史』とい う題名で翻訳されている)、また皇城新聞社 や西友学会・西北学会で「自強」のための 論説を数多く書いた朴殷植(1859-1925)は、 1907 年に「文弱の弊は必ずその国を喪(ほ ろぼ)す」という論説を発表して、朝鮮の 「文弱」の風を批判し、日本の「尚武の精 神」を称えた。しかし、朴殷植は伝統的な 教育を受けた儒教的知識人で、言論活動の 主たる舞台である『皇城新聞』も、儒教的 な色彩の強い論調をもつ新聞であった。
 「武」よりも「文」を尚ぶ儒教を思想的基 盤に持つ知識人が、「文弱」を批判して「尚 武」を称えるとは、はたしてどういうこと なのか。本報告では、朴殷植における「尚 武」称揚の論理構造について考察したい。 もう一方で、日本の「尚武の精神」を称 揚するのならば、その当の日本が武力を押 し立てて自国を侵略している現実をどう批 判できるのか、という疑問が生ずる。1910 年の韓国併合の後、朴殷植は中国で独立運 動を行うが、その反日の論理はいかなるも のだったのか。そこで、本報告では、かつ て「尚武」の国である日本を称えた朴殷植 が、いかにして反日の論理を獲得していく のかという、思想の変遷にも目を向けたい。
 今日の韓国・北朝鮮では、「経済大国」 「IT 強国」「社会主義強盛大国」というこ とが盛んに論じられる一方で、「東方礼儀 之邦」という「文」に自らの優越性を見出 すことが間々見られる。本報告が、そうし た現代韓国・北朝鮮のアンビバレントな意 識のあり方を理解する手掛かりとなれば幸 いである。

■ 春木育美「韓国の徴兵制と軍事文化の中の男と女」

 徴兵制がある韓国では、健康な男子であ れば誰もが軍隊に行かねばならない。韓国 の男性は軍隊経験を通して、「大韓民国男 子」としての連帯感を形成しているように みえる。徴兵されない女性や、身体上の理 由で兵役が免除になる男性についても、自 分の兄弟や息子、友人を軍隊に送り出した 経験を誰もが持つ。このような共通体験は、 韓国国民としての意識形成や一体感の造成 に寄与するところが大きいと考えられてき た。
 しかし、徴兵制が男子のみに義務付けら れている点や、徴兵逃れがしばしば社会問 題になる点などから、実態として全国民が 軍隊経験を共有しているわけではない。こ うした国民間の亀裂を覆い隠し、あくまで 一体性が存在するかのような言説によって、 韓国の徴兵制は国家のための神聖な国民の 義務として存続してきたといえる。
 南北分断体制の中で国防のために不可欠 なものとして、韓国の徴兵制はこれまで疑 問視されることも廃止が議論されることも なかったが、近年、エホバの証人の信者ら による良心的兵役拒否者の存在が「発見」 され、さらに宗教的理由以外の兵役拒否者 が現れ、良心的兵役拒否者を認めるかどう かが議論になっている。その一方で徴兵逃 れの問題など、国民皆兵の矛盾が明るみに 出ることで、韓国の徴兵制は揺らいでいる。 本報告では、第一に、軍事文化の維持と再 生産機能を担うと位置付けられる徴兵制が、 韓国国民にとってどのような意味を持つか を検討する。
 第二に、韓国社会の軍事化によってもた らされた日常生活の中の軍事文化とは何か を探る。韓国社会では軍事文化が学校教育 の場などに深く根を下ろしているが、そう した軍事文化が韓国において男や女のあり ようにまで影響を及ぼしている点について 言及する。
 第三に、徴兵制の矛盾と問題点について、 ジェンダーの視座から明らかにする。事例 として、公務員試験で軍除隊者を優遇する 軍服務加算点制度の廃止運動を取り上げ、 運動の推進主体に男性障害者が多かったに もかかわらず、「軍隊に行かねばならない 男性」と「軍隊に行かなくてもよい女性」 によるジェンダー間の対決構図へと発展し た背景を分析し、徴兵制をめぐる男女の布 置関係を考察する。
最後に、韓国社会の中の軍事文化の本質 について明らかにし、結論とする。


韓国・朝鮮文化研究会 事務局
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学大学院人文系研究科 韓国朝鮮文化研究室内