第12回大会
日 時 : 2011年10月15日(土) 10:00~18:00
場 所 : 東洋大学 白山キャンパス6号館 2階 6204教室
白山キャンパスへのアクセス→(http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html)
□ プログラム:
10:00~12:00 一般研究発表
丁ユリ「韓国の葬墓文化に関する研究:都市住民の葬法にみられる近年の変化を中心に」
曺佑林「植民地期朝鮮における女性雑誌の恋愛言説」
井出弘毅「韓国のトランスナショナリティ:巨済島長老派キリスト教会を中心に」
12:30~13:10 会員総会
13:10~18:00 シンポジウム「キリスト教と韓国朝鮮社会」
秀村研二「趣旨説明」・「韓国キリスト教会の教会活動にみられる社会・文化的諸側面」
趙景達「東学とキリスト教」
丹羽泉「韓国キリスト教と韓国社会:宗教学の視点から」
松谷基和「「ネビウス方式」の再検討:韓国教会の「自治」という「神話」」
総合討論
□ 懇親会
時間:18:30~20:30
場所:6号館地下食堂
□ 一般研究発表の要旨
丁ユリ「韓国の葬墓文化に関する研究:都市住民の葬法にみられる近年の変化を中心に」
韓国では朝鮮時代半ば以来、埋葬を中心とする葬墓文化が、孝や祖先崇拝という儒教観念の実践機制として望ましい「伝統」として固く守られてきた。これに対し火葬は事故で死んだ者、未婚のまま死んだ者、自殺者、戦死者、伝染病による死者、無縁者など「非正常」な死に方をした人の死体処理における特殊な葬法として認識され、一般的な死の場面では忌避されてきた。そのため、火葬後の遺骨の処理方法においても、異常な死を迎えた死者の痕跡は残すべきではないという理由から、遺骨を粉にして山、川、海などに撒いてしまう「自然散骨」が主に行われてきた。しかし、1990年代後半からこのような状況に急激な変化が現れ始めた。ソウルや釜山など大都市を中心に火葬率が急速に増加し、1991年に17.8%に過ぎなかった全国平均火葬率が2009年末には65%にまで達するなど、従来、異常な死に対する対処法として否定的な捉え方をされていた火葬が今は埋葬とともに韓国人の死の対処法として定着しつつある。
一般的に葬墓文化は、他の文化に比べ変化する速度が遅い、変化しにくいと言われている。しかし、韓国の葬墓文化はこの数年間、「非正常的」ともいえるほど急速に変化しつつある。果たしてその理由は何なのか。その背景には何があるのだろうか。
本人はこの点に着目し、2003年から数度にわたって韓国でフィールド・ワークを行い、関連機関・関連施設を訪問・見学し、政府、自治体、メディア、市民団体、学界、宗教界、民間業者、遺族など葬墓文化をめぐる様々な主体とインタビューを重ね、その答えを探ろうと試みた。
今回の発表では、まず、都市部の葬墓文化に現れている諸変化様相を葬法の変化、墓地の変化、儀礼の変化という三つの側面から具体的に検討する。
次に、そのような変化をもたらした社会的な動きを、①新たな言説の形成、②法律と制度の改編、③施設上の改善という巨視的側面から分析する。
また、遺族とのインタビューに基づいて、個人のレベルでの葬法と墓地の選択と実践は、死者と遺族の経済的な状況、家族史、宗教、趣味、価値観、死に対する態度や準備程度、儀礼に対する知識程度など、様々な細かい要因が複合的に作用していることを、具体的な事例を取り上げ、微視的側面から検討する。
最後には、このような変化がどうして1990年代の後半になって一気に現れるようになったのかについて分析を試み、①圧縮的な近代化過程を経験する中で伝統的な葬送儀礼に対する知識伝承が断絶され、儒教観念も弱化しつつあったという諸条件の成熟と、②変化の直接的な契機となった二つの大きな事件(1997~1998年、いきなり韓国を襲った「IMF経済危機」と、1998年の夏の洪水によってソウルと京畿道一帯の埋葬墓地が大量に流失される事件)、③変化に更なる追い討ちをかけた「火葬奨励運動」と「well-dying」、「eco-dying」という言説の拡散を取り上げる。
曺佑林「植民地期朝鮮における女性雑誌の恋愛言説」
本発表の目的は、植民地期朝鮮における「自由恋愛」と「貞操問題」をめぐる言説を、当時の女性雑誌に掲載された記事を主たる資料として、歴史社会学的な視点から考察することにある。特に1920年代から1930年代までの時期を対象として、日本から流入した新文化であった「自由恋愛」や「恋愛結婚」が、当時の代表的な女性雑誌である『新女性』と『女性』の誌上でいかに扱われていたのか、また貞操問題と関連して、どのような議論がなされていたのかを中心に、両誌の記事を言説分析の手法を用いて検討したい。
言説分析の手順としては、主に「恋愛」に関する記事を、学生を中心とする読者の投書と、編集陣や知識人が執筆した記事とに分け、それぞれにおいてどのような主題が多く取り上げられていたのか、それがどのような観点から語られていたのか,また逆に何が語られていなかったのかに着目する。ただ誌面で語られることのみを皮相的に整理するのではなく、何が語られないかにも注目することで、女性雑誌の言説の全体像を把握できると考える。
植民地期朝鮮の女性雑誌は、自由な討論の場というよりは、知識人や編集陣の主張の場としての性格がより強かったと見られる。それは、いわば女性を対象とした女性雑誌の特質を生かし、儒教的な価値観の肯定や近代への警戒というイデオロギーが多分に含まれる言説を読者に届けるものであった。このイデオロギーの枠から外れることは許されず、編集陣の忠告を聞かなかった者は「堕落」するとされ、非難の対象となった。また実際に「堕落した」読者の手記を掲載することで、その説得性を高めようとした。逆に、現在形の恋愛体験を肯定的に取り上げる記事が掲載されることはなかった。
このように当時の女性雑誌は、知識人を中心とした編集陣の啓蒙的言説と、それに賛同する読者の投稿を中心に構成されていた。偏った読者の声と、イデオロギーの枠から逸脱することのない言説の大量生産は、読者に対して、儒教的なイデオロギーの再認識と再評価を促すに留まったと考えられる。語られることには、女性の虚栄心や女性の貞操の重要性といったレトリックの繰り返しによるイデオロギーの強化を見てとれ、逆に婚前交渉や女性の一人称による恋愛の語りなどが語られないことは、儒教的価値観に裏付けられたバイアスを示しているといえる。
女性雑誌の言説のレトリックと、それを補強した読者の言説がどのような関係にあったかを見ることによって、植民地期における「近代」と「伝統」が交差する一様相を見出だすことができるのではないかと思う。
井出弘毅「韓国のトランスナショナリティ:巨済島長老派キリスト教会を中心に」
近年韓国では急速な社会変動を経験してきている。1989年の海外旅行の完全自由化に伴う大量の韓国人の海外旅行や海外移住など外向きの流れはもちろんのこと、内向きにも急速な外国人の流入に伴い、全人口の2.7%を外国人が占めている。日本の1.7%と比べると、全人口に占める外国人数が多いだけではなく、急速に進行していることが分かる。そして多文化家族という言葉に象徴される通り、韓国民の内実が大きく変容してきている。
本発表では、韓国最大の島である済州島に次ぐ面積を持つ巨済島にある長老派キリスト教会を対象とし、その海外布教の実態と、トランスナショナル・ファミリーとも言うべき家族の様子について、現地調査を元に紹介する。
この教会では、これまでインドやアフリカへの海外布教及び教会建設などを積極的に行なってきている。この海外布教は担当牧師の意向によるものであり、教区の長老を始めとする信者達にも支持されている。
さらに牧師の子ども達や兄弟もそれぞれ海外で生活しており、この一家はさながらトランスナショナル・ファミリーとも言うべき様相を呈している。
こうした国境を越えていく動きを具体的な姿を通して見ていくことにより、現代韓国の変容の一端を考えてみたい。
□ シンポジウム「キリスト教と韓国朝鮮社会」
秀村研二「趣旨説明」
今日の韓国の宗教においてキリスト教の占める割合は決して低くはない。2005年の統計では、仏教信者22.8%、プロテスタント18.8%、カトリック10.9%であり、キリスト教信者が多くを占め、実際にも社会文化的に大きな影響力を持っている。ところがキリスト教が新しくもたらされた外来の宗教文化であったためか、社会的、文化的問題として取り上げられることはあまり多くはない。またプロテスタントたちが儒教の祖先祭祀を拒否することなどから、どちらかというと伝統文化を破壊する否定的な面として認識もされてきた。しかし現在では儒教規範とさほど敵対的であるわけではないし、儒教規範の上で受容されている面も見られる。
一方では多くの信者が存在するため多様な側面を見せている。キリスト教の中での様々な動きだけではなく、キリスト教の周辺部分にはシャーマニズムなど民間宗教との親和性を持った活動が多く見られる。このような動きに対して、キリスト教内部からは異端を糾弾する活動が不断に続けられているのも正統性を重んじる韓国的な対応ということが出来るかも知れない。
近代になって「文明化の道具」として現れたキリスト教を韓国・朝鮮社会が如何にして受容し展開してきたかについて、受け入れた社会の歴史的、宗教的、社会的、政治的環境がどうであったのか、その後どのように相互に関連しながら展開していったのか、など多様な側面から探りたいというのが本シンポジウムの目的である。
秀村研二「韓国キリスト教会の教会活動にみられる社会・文化的諸側面」
20世紀後半からの韓国社会の変化に対してキリスト教が果たしてきた様々な役割について、具体的な教会の活動の中に何が見られるか考察する。経済の高度成長と共に進展した都市化のなかでキリスト教信者の急増が見られたが、それは女性や労働の問題とも密接に関連していた。単独の教会で世界最大の信者数を擁する汝矣島純福音教会だけではなく、数万人の信者をもつ巨大教会が存在するのも韓国キリスト教の大きな特徴であり、そのような巨大教会の出現とその影響力についても問題としなければならないであろう。1990年代後半からの信者数増加の停滞とともに一方では海外宣教活動が盛んに展開されるようになってきており、2007年にはアフガニスタンにおいてある教会の宣教団が集団で拉致され犠牲者がでることにもなった。この積極的な海外宣教活動にも韓国的な要因があるように考えられる。祖先祭祀をめぐる伝統的規範との問題や、祈祷院運動などにも見られるシャーマニズムとの問題などにも触れたい。
趙景達「東学とキリスト教」
いうまでもなく崔済愚が命名した東学とは西学に対する名称であり、そこには民族的な自負とともに、キリスト教(天主教)への反発があった。しかし、東学には一神教的な側面があり、それは何よりもその上帝観にかかわっていた。また、東学には神秘主義的な側面もあり、それは終末思想的様相を帯びていた。さらに東学は「有無相資」の宗教共同体としての性格が濃厚にあった。こうした三つの性格は、朝鮮のキリスト教受容を考える上で重要なファクターであると考えられる。
現在韓国ではキリスト教の勢いが盛んだが、その問題は、かつて何故に東学が盛んであったのかという問題とも関連しているように思われる。東学を受け入れた朝鮮民衆はのちにキリスト教をも受け入れていくのだが、その受容理由は同一のものではなかったのかというのが、本報告の問題意識である。まことに不可思議なことだが、甲午農民戦争後、東学の一部はキリスト教に共鳴し、名を英学と改めたり、西学と名のったりした。そして、1907年頃朝鮮のキリスト教は大復興運動を展開し、多くの信徒を獲得するのだが、その理由は当該期の東学のあり方と無関係ではないように思われる。
本報告では、以上のように朝鮮民衆が東学をいかに受容したかを考えるとともに、キリスト教との共鳴をいかに果たしていくのかを明らかにする中で、朝鮮のキリスト教受容の特徴について考察していくことにしたい。
丹羽泉「韓国キリスト教と韓国社会:宗教学の視点から」
韓国でキリスト教徒の人口比率の高さはよく言及される。しかしこの問いに答えることはそう容易ではない。この点を考察するにあたって、2つの側面がある。ひとつは歴史的な観点、すなわち個性記述的な側面である。たとえばアンダーウッドやアペンゼラーといった米国人宣教師の果たした歴史的な役割に着目することも可能であろうし、あるいは信者の観点から、宣教方法の違いといった、技術的な面を強調する議論もありうる。もう一つは、現在の韓国におけるキリスト教の定着を可能にした社会学的な諸条件に着目するという面である。
報告者は主としてこの後者の観点から、とりわけ宗教社会学的なさまざまな側面からこの課題へのアプローチを試みたい。
考察にあたって留意すべき点として、たとえば日本との比較の視点からすれば韓国のキリスト教徒の割合は際立って高いといえるが、総人口の1パーセント程度にすぎないといわれる日本のキリスト教徒の割合こそが際立って低いということもできるかもしれない。外来の宗教という意味では、フィリピンのカトリック教徒やインドネシアのイスラム教徒の割合を考えれば、韓国のキリスト教人口が果たして際立って高いといえるかどうか、というのは必ずしも自明ではない。
また社会学的にキリスト教を定義することは困難である。つまり何が正統で異端かという基準でキリスト教を定義することはできない。したがってこの問題を考察するにあたって、幾つかの概念操作を用いることが必要である。本報告では、「終末的時間」、「現世へ価値づけ」、「社会の統合的機能」などの諸点に着目し、韓国(朝鮮)の伝統宗教である儒教や巫俗文化、仏教や新宗教なども視野に入れて韓国におけるキリスト教の諸相を考察してみたい。
松谷基和「「ネビウス方式」の再検討:韓国教会の「自治」という「神話」」
今日の韓国においてキリスト教人口は全人口の約30%を占めると言われる。その中で、宗派別にみると、長老派系の教会(Presbyterian Church)が最大である。この長老派が最も広く受容 された理由として、これまでの韓国教会史・キリスト教研究史においては、長老派宣教師が用いた「ネビウス方式(Nevius Method)」と呼ばれる宣教政策の成功が強調されてきた。「ネビウス方式」とは、現地教会の「自給(Self-sufficient,)、自治(Self-government)、自伝(Self-propagation)」を重視する宣教政策であり、これにより、長老派教会は当初から宣教師に依存しない主体的・自律的な教会を形成し、それが同派の急速な成長の要因と説明されてきたのである。
これに対して、本発表は、この「ネビウス方式」の有効性について、教会の「自治」問題を中心に、根本的な疑義を提示する。本発表は、当時の宣教師の報告書を主たる資料として、長老派宣教師たちは「ネビウス方式」を宣伝しながらも、実際には韓国人信徒の資質を信頼せず、宣教師自らが韓国教会を統治する制度を構築していた事実を指摘し、韓国教会の「自治」が有名無実であった点を明らかにする。また、宣教師による韓国教会の支配は、当時の韓国人信徒からも批判されており、韓国教会に「自治」が不十分であるという認識は一般的であったことも明らかにする。
これらの事実を踏まえた上で、発表者は「ネビウス方式」の成功は、宣教師が自らの功績を本国に報告するために、事実を誇張したことに由来する「神話」であり、したがって韓国の教会成長の理由を「ネビウス方式」に求めることにも限界があると主張する。そして、韓国の教会成長の主たる理由は、むしろ韓国教会が、宣教師に手厚く保護され、支援された点にあるのではないかという仮説的な見通しも併せて提示する。
韓国・朝鮮文化研究会 事務局
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