第48回研究例会
日時:2014年4月5日(土曜日)15時~17時
会場:東京大学(本郷キャンパス)赤門総合研究棟7階 738号室
最寄り駅:本郷三丁目駅(地下鉄丸の内線、大江戸線)
■アクセス:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/map01_02_j.html
■建物位置:http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_02_j.html
赤門を入り右手の建物です。
*当日は土曜日で建物内に入れない可能性があります。(4時までは開いているはずですが)その時には研究室の電話03-5841-3636に御連絡下さい。
▽発表者:豊島悠果(神田外国語大学専任講師)
◎題目:「金朝の外交制度と高麗使節-1204年の賀正使節行程の復元試案-」
本報告の目的は、高麗・金間の使節往来のあり方について理解を深め、金を盟主とした当時の北東アジアの国際秩序下における外交制度の一端を明らかにすることにある。
高麗王朝は、475年にも及んだ統治期間のなかで、後唐・後晋・後周・宋・遼・金・元・明の冊封を受け、その時々の国際状況に応じて巧みに事大外交を展開してきた。宗主国となったこれらの王朝のうち、特に高麗に大きな影響を及ぼしたという点で、宋や元との関係に注目されることが多い。一方、それぞれ百年前後の期間、高麗と宗属関係にあった遼・金との具体的な通交の様相を把握しようとする試みは、かなり限られていると言わざるをえない。そこで本報告では、高麗・金間の国家間交流の担い手であり交易の当事者でもあった外交使節、特に高麗から金に派遣された使節の行程に焦点を当てて考察する。その過程では必然的に、彼らを迎える金側の外交制度についても論及していくことになる。
遣金高麗使節の行程についてうかがい知ることのできる有用な史料として、報告者が注目したのは、1204年の賀正使節人員として金に派遣された高麗人、金克己がその行程中に撰述した文章群である。ただ、その多くは、使節の詳しい活動内容や日付を含むものではない。そのため、各文章がいつ、どのような状況で書かれたのかを知るためには、麗金間の定期使節派遣における慣例、および金の外交使節迎接制度に対する理解が必要である。よって本報告では、金朝の外交儀礼関連史料や、宋人の使金記録等をあわせて参照し、金の外交使節関連制度を把握した上で、高麗使節の行程復元を試みる。なお、この1204年の遣金高麗使節は、朝鮮半島の王朝から派遣された燕行使の事例としては最も早い時期のものであり、後に元・明・清代と続く燕行使の変遷を考える上でも興味深い。
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